アスラン少年の苦労日記


 晴れ空に白い雲が浮かぶ。汗ばむような陽気が初夏を感じさせ、街路樹が若葉を伸ばし街路に影を落とす。
 街を南北に貫く川の水面を駆け抜ける風が涼を運んでいく。
 明日からの大型連休を控えてか街は浮き足だっていた。街中をあるく人たちの足取りも軽く見える。
 カフェテリアの二階。脇の路地を見下ろす窓際の席に一人の少年が腰掛け、本を読んでいた。
 端正な顔立ちを彩るのは藍色の髪に翡翠の瞳。まとう臙脂色を基調とした詰め襟の制服は、この近くにある高校のものだ。
 ときおり談笑の声がもれる空間に静かなピアノ曲が流れる。喧噪が苦手な彼にとって、落ち着いたこの店の雰囲気は居心地が良いものだった。だが、いつもなら心地よさを感じさせる空気も今の彼にとっては憂鬱さをかき立てるものでしかない。
 パラパラと意味もなくページを捲ってはため息をはいた。
 意味もなく手元の腕時計と壁に掛けられた時計に視線をやるが、約束の時間にはまだ早い。それでも視界の端を人影が過ぎるたびに、待ち人が来たのではと視線をやってしまう。
 時間潰しにと本を広げてみたのだが、羅列される文字はただの記号のようで内容は少しも頭の中に残らない。
本をテーブルの上に投げ出すとコーヒーを流し込む。しかしそれは、冷めきってただ苦いだけで美味しくない。
 ぼんやりと手元のカップをながめる。底に残ったコーヒーがおかしな模様を描いていた。
 時の流れは面白いもので、まだ大丈夫だと思っていてもふと気が付けばそれはもう目前まできている。
 カレンダーを思い描きながら、彼は肩を落とした。
 人の気配に顔を上げる。
そこにはセーラー襟のオーバーブラウスに深緑色のチェックスカートを着た、肩口までの茶色の髪を外に跳ねさせた少女がいた。
 お待たせ、と彼女は手に持っていたトレイをテーブルに置き向かいの席に着く。

「すまない。突然呼び出したりして」

「いいわよ、ここのサンドを食べたかったもの」

 彼は乾いた笑みを浮かべた。
 トレイの上には、カフェの名物である照り焼きチキンサンドとアイスコーヒーがあった。ピリッとした辛みはちょっとした隠し味だ。
 はい、と二切れに分かれているチキンサンドの片方を彼女は差し出した。ひとりじゃ食べきれないから、と残り半分を口にする。
皿の上のサンドを横目に、彼は汗をかいている水のグラスを手に取った。

「それで今日はどうしたの?」

 カラン、とグラスの中の氷が小さく音を立てる。

「ああ、それが……」

 それを言うことを躊躇ってしまう。だが、この問題を解決するには、彼女の力を借りなくてはどうにもならない。

「アスラン?」

 彼女はサンドを口にくわえたまま、首を傾げた。黙り込んでしまったアスランに少女はもぐもぐと口を動かしながら成り行きを見守る。
 口元に運ぶグラスをテーブルに置くと、アスランは意を決したように頭を下げた。
 彼女の動きが止まる。

「付き合ってくれ」

 その言葉に少女は木蘭色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。


***


 大型連休だとテレビなどではやしたてられるも高校生である彼らにとって祝日はカレンダーの通りにしかやってはこない。
 夜明けが早まってきたことを感じながら、毎日の日課である愛犬ジャスティスとルージュの散歩を終え家に戻ったアスランは、門扉のわきに見慣れたメタリックブルーの一台の自転車を見つけた。

(この自転車  。まさか、な)

 だが、帰ってきたアスランを出迎えたのは、我が物顔でソファに座りテレビを観ながら、新聞のテレビ欄をながめている親友だった。
 世の中、どうでもいいことだけは当たるものである。

「おはよ、アスラン」

「なんでキラが家にいるんだ?」

 開口一番。朝の挨拶もよそにアスランは問いかける。
 キラとは幼い頃からの友達だが、アスランの家からは自転車で二十分ほど離れた場所に住んでいるからだ。
 そもそもキラは放っておけばいくらでも惰眠を貪る人間だ。そんな彼がなぜ朝早くから他人の家で、それも新聞を読んでいるのだろうか。

「なんで、てカガリたちと映画を観に行くって言ったでしょ」

 キラは肩を落としながら、ソファから身を乗り出し、右手に持ったチケットを扇状に広げひらひらとさせる。
 ああ、とアスランはうなずいた。

「……そういえば、ステラが【怪盗ルージュとアレックス・ディノ】を観に行くと」

 嬉しそうに飛び跳ねていたステラの姿がよぎる。

「うん。招待券が手に入ったんだ。行かないのももったいないし、ステラ、あのアニメ好きだからね」

【怪盗ルージュとアレックス・ディノ】とは、今話題の人気アニメーションである。

 盗まれた家宝  〈ハウメアの守り石〉を奪い返すために怪盗ルージュとなったユラをアレックス・ディノ刑事が追う  というのが大まかなあらすじだ。
 小学生のステラも毎週楽しみに見ている。
 人気作家ネオ・ロアノークの作品が原作だが、当の作者はキラたちの親戚だ。今日のチケットも本人から貰ったのだろう。

「それにしては来るのが早くないか」

 付けっ放しのテレビからは、時報とともに見知ったアナウンサーが朝のニュースを読み上げる。平日でも遅刻ギリギリで登校してくるキラはまだ夢の中の住人だ。
 めずらしい、と続けるアスランに、

「そんなこと気にしてたらハゲるよ」

 キラは鼻で笑うと頬をふくらませた。

「だいたい、僕のいとこなのに  

 ぶつぶつと文句を言い始めたキラは置いといて、アスランはキッチンへ顔を出す。

「帰りました」

「アスラン、お帰り。ちょうど朝ご飯が出来上がったところだぞ」

 うなじで髪をくくりギンガムチェックのエプロンを身につけたカガリが、小皿を片手にコンロの前で汁物の味見をしていた。味噌の独特のにおいがする。

「今日の具はなに?」

 鍋をのぞきこむと一面に刻んだネギが浮いていた。

「……」

「裏の畑にたくさん出来ていたんだ」

 キッチンの窓からのぞく裏庭を指す。まだ地表がのぞく畑だが、もう少しすれば溢れんばかりの緑でうめ尽くされるだろう。

「そうだ、カガリ」

「なんだ」

「キラはいつ家に来たんだ」

 食器棚から茶碗を取り出していたカガリはふり返る。アスランは引き出しから箸を取り出しながら首だけをそちらに向けた。

「アスランが散歩に出たのと入れ違いだぞ」

 チクタクチクタク。

 頭の時計の針を少し戻す。
 アスランがジャスティスとルージュの散歩に出たのはラジオ体操の時間だ。
(あいつはいったい何時に起きたんだ)
 槍が降るか、おおまめ、か。
 その昔、大雨を「おおまめ」と読んだキラだ。大豆くらい降ってもおかしくない。

「ジャスティスとルージュのゴハン出来ているぞ」

 カガリ特製ドッグフードを受け取りながら、アスランは彼女の頬に口づけをおとす。
 さっと紅をさしたように朱色に染まる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 恥ずかしいのか、カガリは顔を背けてアスランの好きな琥珀色の瞳を見せてはくれない。
 視界の端に茶色頭がのぞく。
 キッチンの柱の影からニンマリとした笑みを残し、亀のように首を引っ込めた。  勝手口から裏庭に出たため、アスランは気づかなかった。キラがおもむろに携帯電話取り出しそのキーを押し始めたことを。


 アスラン・ザラとカガリ・ヒビキは隣家に住む幼なじみという間柄だ。そんな二人の関係が変わった翌日。アスランはヒビキ家の軒下に設けられたウッドデッキで湯呑みを片手に固まっていた。

「カガリはアスランくんのぱんつを洗濯することができるかしら」

「アスランのぱんつなら、毎日洗濯しているぞ」

 恥じることもなく「ぱんつ」という単語にカガリは胸を張った。
 あら、そう、と面白くなさそうにヴィアは子どものように口を尖らせた。父親似の髪色を持つカガリだが、その造形は母親であるヴィアに似ている。さすが母子だけあって二人の幼い動作はよく似ていた。
 季節は移ろい、寒色の景色は暖色へと変わっていた。春雨が梅や桜の花を散らせ、それを追うかのように多種の蕾が花開く。
 オオイヌノフグリが瑠璃色の花を咲かせ、新緑の匂いを含んだ風がシロツメクサを揺らし、蓮華の絨毯の上を駆け、咲き誇るパステルカラーの花々で飾られたウッドデッキの上をタータンチェックのテーブルクロスの裾をはためかす。卓上に置かれた皿は重石変わりになっていた。

「お母さん、話ってなんだ?」

 微動だしないアスランをよそに、カガリはヴィアを即する。
「そうそう。来週からお母さん、お父さんのいる研究所に転勤になったの」

 今日の夕飯はカレーよ、とでもいう様にヴィアはさらりと言った。

「お父さんのところに転勤?!」

 カガリが声をあげた。

「メンデルにですか?」

 ぱんつの衝撃から立ち直ったのか、後を継ぐようにアスランが続ける。遺伝子学者であるカガリの父は二年前から外国  メンデルの研究所にいた。
「ええ」

「わたしも行かないといけないのか?」

 くしゃりとカガリが顔を歪める。アスランも胃を鷲掴みにされたようになった。湯呑みを持つ手に力が入る。

「カガリちゃんはメンデルに行きたくないの?」

 うん、と即答するカガリにアスランの心は晴れ渡る。

「だって、メンデルに行ったら、ケバブが食べられなくなる!!」

 なんともな理由に晴れ渡ったアスランの心はぽろりと涙をながした。しかし、母親にはカガリの心内などお見通しとでもいうようにヴィアは笑みを浮かべ、

「カガリちゃんとステラちゃんは、アスラン君のお家で一緒に暮らすことになったの。レノアたちの許可も得ているわ」

 アスランの両親は、彼が幼い頃から仕事で不在がちだった。現在も仕事で外国にいる。アスランには両親のほかに同居の叔母もいるが、彼女も家にいないことが多いためアスランは隣家の両親の親友であるヒビキ夫妻にお世話になっていた。

「……今とあまり代わり映えがしないような気もするのですが」

「そうねえ。二人ともよくアスラン君のところへ入り浸っているから」

「でも、お母さん。ステラのこっちに残るのか?」

「カガリちゃんはアスラン君と二人きりがいいの?」

 ヴィアの言葉にカガリは顔を真っ赤にする。

 カガリの妹  ステラはこの春、小学三年生になる。

「メンデルは少し治安が悪いから、カリダのところに預けようかと思ったのだけれど、あそこだと学校が変わるのよ」

 国内にいるのに友達と離れたら可哀想でしょう、とヴィアは続ける。かくして、年度の変わり目、ヒビキ家は慌ただしく引っ越しを行い、ヒビキ姉妹はザラ家へとやって来た。
 見送りに行った空港でヴィアは、

「アスランくん。わたしたちまだお祖母ちゃんになりたくないの」

   という置き土産を残し彼女が乗った飛行機は空のかなたへと消えて行き、ザラ家での新しい生活が始まったのである。



 二匹のエサをやりアスランが戻ってくると、ダイニングテーブルには美味しそうな食事が並んでいた。

「おにいちゃん、おはよう」

「おはよう。ステラ」

 アスランの姿を認めるとステラは配膳をしていた手をとめ、とてとてと歩いていき、ぎゅっとアスランのズボンにしがみつく。頭をぽんぽんと軽く撫でるとステラは嬉しそうに笑んだ。

「ステラもおねえちゃんと作ったの」

 ちらちらとカガリを見ながら、ステラはもじもじと桃色のエプロンをキュッと握った。

「楽しみだな」

「ステラ頑張ったんだぞ。そのかわり、余所行きの服を一枚、エプロンごとびしょ濡れにさせたけどな」

「ちがうの。ステラが悪いんじゃないの。お水がとんできたの」

 年の割に幼いステラをアスランは椅子に座らせると、カウンターに行き鍋の蓋をあけた。

「味噌汁つけるよ」

「頼む」

 アスランが慣れた手つきで鍋から注いでいく。だが注ぎながらアスランは首を傾げた。三人分でいいはずのお椀が四枚あるのだ。そういえば、ダイニングテーブルの上にも四人分の食事が用意してあった。

「あ、それ僕の分だから忘れないでよ。それと、ぼくのにはネギいれないでね」

 鍋を覗き込むようにキラが横から顔をのぞかせる。

「お前、家で食べてきたんじゃないのか」

「食べてくる時間があったと思う」

 偉そうにキラは言う。

「好き嫌いをするな」

 ネギをたっぷりすくいあげ汁碗に入れた。

 今朝のメニューは白米にほどよく焼けた目玉焼きと味噌汁だ。

 味噌汁の具をつけているときも思ったが、やけにワカメの切りようが大きい。というよりも、具の切りようが全体的に大きいのだ。

 ジャガイモを箸でつまみ上げ見つめていると、

「今日の味噌汁の具はステラが切ったんだ」

 とカガリはこれまた大きめな豆腐を口に運んだ。

 それでか、と納得するアスランの隣で、キラは必死にネギと格闘していた。

「そういえば、アスランは今日どこに行くんだ?」

 箸を片手にカガリが小首をかしげる。

「あれ、言ってなかったか? 今日はマイクロユニットの買い出しに行くんだ」

 言いながら、ずきりとアスランの胸が痛む。たしかに自分はマイクロユニットの材料も買いに行くが  

「そうか。なら一緒に行こうな」

 ああ、と返事をしながら、アスランは訝る。彼らは映画を観に行くのではないだろうか。

そこでアスランは、はたりと気づく。

 アスランがよくマイクロユニットの材料を買いに行くショッピングモール  アークエンジェルは郊外にある複合型商業施設で、映画館も併設してある。
 この辺りで映画に行くといえば、そこしかない。
 しかし、残念ながらアスランが今日行く予定の場所はそこではない。

  あ、いや、その。ありがとう。えっと、駅の本屋によってから行きたいから、途中まででいいか」

 花咲いたようなカガリの笑みに、アスランは泣きたくなった。だが、ここでカガリにバレては意味がない。無性に疲れた。

「アスランも一緒に映画を観られたらなあ」

 カガリの視線が突き刺さる。

「無理だよ、無理! だって、あのアスランだよ」

 見事に椀にネギだけを残し、箸をくわえながらキラはネギの恨みか意地悪く言う。

「映画館でもコンサートでも、暗くなったら速攻で寝ちゃう。行くだけ無駄な」

 失礼な  、と声を出して言いたいが、ほんとうの事なので言葉がない。

「……おにいちゃん」

 小さな声とともに、向かいの席に座っているステラがおずおずと目玉焼きの黄身が入った皿を差し出してくる。

「こら、ステラ! 好き嫌いをしちゃいけないって言っただろう。残したら映画に連れていかないからな」

 カガリの声にびくりと身体を振るわせ、ステラは瞳に涙を浮かべる。アスランは苦笑をもらすと、

「半分食べたらいいよ」

「アスラン、ステラを甘やかすな」

 目の前でふたりのそんな会話が続く。まるでどこぞの若夫婦かという光景にキラは少々頭をかかえたくなった。

「あ、僕が見てるのに」

 アスランはキラが食事をしながら眺めていた新聞をとりあげる。

「お前はどうせテレビ欄と三面記事しか見ないだろう。あとステラが真似をするから、ながら食いはするな。肘をつくな。箸もちゃんと持て」

 図星をつかれ、キラは視線をそらす。

「キラ」

「なに? ステラ」

「ステラ、えいが、行ける?」

「うん、行けるよ。ところでステラ、なんで従兄の僕がキラなのに、アスランはおにいちゃんなの?」

 それはキラがずっと不満に思っていたことだ。たしかに従兄であるキラよりも、隣に住んでいるアスランのほうがステラにとっては「おにいちゃん」だろう。だが、キラには納得がいかない。

「キラはキラで、おにいちゃんはおにいちゃんだから、おにいちゃんなの」

 ステラの言葉に、六つの目が丸くなる。

「なんだそれ、ステラ」

「おかあさんがいっていたの。おにいちゃんは、ステラのおにいちゃんだから、おにいちゃんなの」

 三人はしばし黙りこみ、ごちそうさまと手を合わせた。





2




 連休中ということもあってか、昼前だというのにショッピングモールは多くの人手でごったがえしていた。
 老若男女入り乱れて、いたるところから子どもの泣き声が聞こえてくる。  二時間とはいえ座りっぱなしだと肩や腰にくる。
朝一番で目的の映画【怪盗ルージュとアレックス・ディノ  涙色の首飾り】を見ることができたカガリたちは人の流れを避けるように、映画館の前にある吹き抜けの手すりにもたれ掛かった。ときおり、身体をほぐすために腕をふりまわす。眼下の通路を人がところ狭しと歩いている。

(なんだか異様な光景だ)

「すごい人だな」

 感嘆するように、隣にいるカガリが言った。
 ディアッカは遊ぶように紙コップを揺らしながら呟く。

「俺はもう、休日に映画は観に行きたくねえ」

「わたしもディアッカがこの映画を観るとは思わなかったぞ」

 ははは、とディアッカはズズーッと氷が溶け水っぽくなったジュースを吸った。

「……俺もこの年になってアニメを観るとは思わんかった」

 ディアッカはザラ家の向かいに住んでいる。

 彼の学年はカガリたちの一つ上だが、幼なじみという関係もあってか、ディアッカはよくザラ家に顔を出す。
 今日もたまたま四人が家を出たところで、ふらふらと買い物に行こうとしていたディアッカと出会ったのである。そして、流されるよう彼は映画を観に行くことになった。

  今朝のアスランはおかしかったな」

 ディアッカは一人ごちる。

 キラが持っていた映画のチケットは四枚あった。いつものアスランなら、たとえ寝てしまうとわかっていても無理矢理ついていくだろう。だが、今朝は変に逃げ腰だった。

 幼なじみの感を侮ってもらってはいけない。

(ぜったい何かあるな。  それも姫さん関係で)

「面白いことがありそうだ」

 ディアッカは空になった紙コップを近くのゴミ箱へ投げ入れた。

「まったく。トイレも人が多くて嫌になっちゃうよ」

 ただいま、とゲッソリとした雰囲気のキラはゆらりゆらりと帰ってきた。

「やっぱ人が多かったか」

「うん。女子トイレほどではないけれどね」

「あ、ステラ、ちゃんと手は拭くようにってといつも言っているだろう」

 キラに遅れて戻ってきたステラの濡れた手をカガリはハンカチで拭っていく。

「これから、どうする?」

 これだけ人が多ければ、どこかの店をのぞこうという気力も削がれてくる。

「ステラ、おなかすいた」

 くいくいとステラがカガリの服を引っ張る。

 頭の後ろで腕を組み、ディアッカが顎で吹き抜けの空間に設置してある振り子時計を示せば、針は十一時半を指していた。

「少し早いが、メシ食いにいくか」

「僕お腹いっぱいだよ」

「そりゃあ、お前あれだけ映画の最中に食べていたらお腹も膨れるわ」

 そうだぞ、とカガリも同意をつげる。
 キラは映画が始まる前から、終るまでずっと飲み食いをしていたのだ。

「じゃあ、キラは置いて、俺は姫さんとちい姫と一緒に食べに行ってくるわ」

「そんな酷い。待ってよ、ディアッカさん」

 階下へ下りるためにエスカレーターに乗ろうとするカガリ達のあとをキラは追いかける。
 エスカレーターに乗りながらカガリはメールを一通送信した。
 一階におりた一行は、昼食を取るため食事処が並ぶ一画へ足を運ぶ。人混みの中を歩くのは、思った以上に歩きにくい。あと角をひとつ曲がればレストラン街というところでステラが立ち止まった。

「おにいちゃん」

 声につられ、カガリもそちらを見る。
 そこには、煌びやかな店内で商品を見定める見知った少年と見知らぬ少女がいた。
 彼は少女の指さす先や、店員の勧める商品を熱心にながめている。

「アスラン」

 カガリの口から声がもれる。
 まるで、二人は人という川に遮られた織り姫と彦星だ。
 だが、織り姫の声は彦星に届かない。
(どうして、そこにいるんだ)

 アスランがいるのは、彼が行くといっていたマイクロユニットのパーツを売っている店ではない。
 なにより、彼は一人ではなかった。
 カガリの知らない少女と楽しそうに宝石を選んでいる。
 アスランがいるのは、ジュエリーショップだ。
 頭の中が真っ白になる。
 カガリは脱兎のごとく駆けだした。

「カガリ!!」

 キラがカガリの背に向かって声をあげる。後を追いながらまた、声をあげた。

「ディアッカさん、ステラをお願いします!」

「まかせとけ」

 二人の姿を見送りながらディアッカは、おにいちゃん、と走っていきそうなステラを引き寄せ壁際による。
 視界の先にあるのは幼なじみの少年。
 しかしながら、アスランのタイミングの悪さは相変わらずらしい。

「……昼飯はとうぶん先か」

 ズボンのポケットから携帯電話を取り出したディアッカは電波の本数が変わるだけで、何も変わらない待ち受け画面をながめた。

(やっぱり、なんかあったか)

 折り畳み式携帯を、音をたて閉じる。

「ステ坊」

「なあに、ディアちゃん」

「スパイごっこ好きか」

「ステラ、好き」

 はーい、と手を伸ばす。

「いいか、ちい姫。ターゲットはアスランだ」

「おにいちゃんがターゲット」

 ステラはわんこポシェットの紐を握りしめた。


***


 駅前に設置されたからくり時計が十時を知らせる。くるくると童話をモチーフにした人形が踊る。

「アレ、忘れてないでしょうね」

 駅からショッピングセンターを結ぶバスに揺られながら、ミリアリアはびしッ、とアスランに指さした。

「ああ、忘れてないよ」

 行き先は皆同じ。運良く席には座れたがバスのなかは人でいっぱいだ。車窓からコマ送りにされた景色が流れていく。

 アスランの返事に満足したのか、ミリアリアは席に座り直した。

「まあ、わたしとあなたとの関係だし。一肌脱いであげるわよ」

「ありがとうミリアリア」

 二人を乗せたバスは広大なショッピングモールの駐車場を抜け、バス停へと着いた。
 アスランは腕時計を見る。
 一足先にここへ来た四人は、いま映画を観ている最中だ。なんとしても彼らと鉢合わせすることだけは避けないといけない。
 何事も行動は隠密にしなければいけないのだ。人混みをさけ、二人は目的地に一番近い入口からショッピングモール内に入ることにし、建物沿いに外を歩いていた。
 店の方針か、店内だけではなく敷地内には緑が多い。木漏れ日のなかにうぐいすの声がこだまする。

「この間いきなり付き合ってくれ、なんて言われたときには驚いたけれど、なんで指輪なんて買いに行こうと思ったわけ?」

「やっぱり驚いたのか」

「ふつうは告白かと思うわよ」

 肩を竦めるミリアリアに、アスランは頬をかいた。

「そうか」

「なんで指輪なの?」

 ミリアリアは重ねるように問う。
 そもそも自分がミリアリアを誘ったのは、彼女に贈る指輪が決められないからだ。

「十八日が彼女の誕生日で、何をプレゼントしたらいいのか困って……」

「毎年、プレゼントを贈ってなかったかしら」

「ああ、贈っていたが、今年は、その、  付き合いはじめて最初のカガリの誕生日だから、いつもとは違ったものを贈りたくて、でも、何にすればいいか分からなくて幼なじみのディアッカに…」

「ディアッカ?」

 ぴくりとミリアリアの眉根があがる。

「アスラン。それって、もしかして、もしかしなくてもディアッカ・エルスマンのこと?」

 ああ、と首をおろすと、ミリアリアは震えながら両腕をこすりはじめた。

「ディアッカ・エロスマンがアスランの幼なじみだったなんて」

「いや、ミリアリア。エルスマンだ」

「エルスマンでもエロスマンでも、あいつにとっては同じことよ!」

「……ミリアリアはディアッカと知り合いなのか?」

「知り合いですって? まさか、あんな女好きとわたしが知り合いなわけないでしょう」

「もしかして、…いッ」

 みなまで言い終わるまえに、アスランは足を踏まれた。靴の上からとはいえ、ヒールの靴の威力は侮れない。

「でも、わかったわ。あいつに指輪でもプレゼントしたらいいって言われたんでしょう」

 アスランはうなずいた。

「ま、このミリアリアさんに任せなさい。指輪を選ぶなんて楽勝よ」



 ディアッカとステラはジュエリーショップの入口が見える二階のベンチにいた。アスランのいる店はちょうどショッピングモール内に何カ所か作られている吹き抜けの近くにあったからだ。
 あれから十分以上経過しているが、アスランが動く気配はない。カガリを追っていったキラからは逐次連絡は入るものの、未だ彼は彼女を捕まえてないようだ。ステラは足をぶらぶらとさせながら大人しく座っている。
 そもそもディアッカはアスランが、浮気をしているとは思わなかった。あの男にそんな甲斐性など存在しない。それよりもディアッカは、アスランと一緒にいる少女が気になって仕方がなかった。

「どこかで見た覚えがあるんだよなあ」

「見たことあるの?」

「ん? ああ、いや、あそこにいる女の子だ」

 ディアッカの指先を追っていったステラはきょとんと首をかしげた。

「ステラ、あのひと、知ってる」

 のほほんとした顔で、ステラは爆弾を落とした。

「ステラ、ミリィちゃんとおにいちゃんちであった」

「アスランの家で?」

 だったら彼女はアスランの知り合いだ。

 しかし、ステラが知っていてカガリの知らないアスランの知り合いとはだれだろう。
 まるでなぞなぞだ。
それに、とディアッカはステラを見た。それはアスランに姉であるカガリ以外の女の子が近づいたらうるさいステラが静かなことだ。

「ディアちゃん。おにいちゃん、出てきた」

「ところで、ステ坊。いいかげんディアちゃんは止めてくれ」

「ディアちゃんはディアちゃんなの」

「あー、はいはい」

 ディアッカは手摺り沿いに二人の顔が見える位置に移動する。その後を真似するようにステラがついていく。

 二人を正面のとらえたとき、ディアッカは柄にもなく大きな声をあげた。
 ジュエリーショップを出たところで、ミリアリアは足を止めた。

「どうした?」

「誰かに名前を呼ばれた気がしたんだけれど……」

「気のせいじゃないのか」

「そうかもしれないわね」

 他の人が連れの名前を呼んだだけかもしれない。
 これだけの人数がいるのだ。同じ名前を持っている人がいてもおかしくはない。
「指輪が買えて良かったわね」

「ああ、ミリアリアには感謝しているよ。俺ひとりだと選べなかっただろうから」

「わたしはアドバイスしただけよ。さて、昼時で混んでいるでしょうけれど、お昼ご飯を食べに行くわよ」

 足を踏み出したアスランたちの背に、声が投げかけられた。

「アスラン! ミリアリア!!」

 振り向けば、荷物のように脇にステラを抱えたディアッカがいた。



 女の子にしては足の早いカガリと男の子のキラ。まるでマラソンをするかのように二人は走り続けていた。

  カガリ! 待ってカガリ!!」

 カガリがキラに追いつかれたのは、ショッピングモールの駐車場のなかにある小さな公園だった。そこは川の流れに手を入れ作った、中州のような場所だ。そこへ両岸から渡れるように小さな橋がかかっている。近くを流れる一級河川の支流だ。もともと工場地だった敷地に植えられた樹木や川を残したまま作られたのだ。ほかにも木々が木陰をつくり、子ども用の遊具が設置され、水遊びもできる場所がある。
 晴れ渡っていた空は、いつの間にか鈍く重たい雲が広がっていた。
 いまにも泣き出しそうな曇天は、まるで自分の心のようだとカガリは思った。カガリの琥珀の瞳は、透明な涙であふれていた。頬をつたい幾筋ものあとがのこる。

「アスラン、他の女の子と楽しそうにしてた」

 自分の思いとは裏腹に、次から次へと涙がこぼれおちる。
 ずっと、心のどこかで自分だけだと自惚れていた。
 いやだ。
 醜い自分の心が嫌になる。

「アスランのばかやろ  !!」

 カガリはほえた。

『俺はカガリが好きです。カガリが俺にとって一番大切な女の子なんだ』

 よみがえる彼の言葉。それでも、自分は幼い子どものように泣きじゃくることしかできない。
 朝。アスランの様子がおかしいことには気づいていた。妙にそわそわしていた。嫌いになったら、嫌いと言ってくれればいいのに。
 ぽつり。
   ぽつり。
 空も涙をこぼしはじめた。
 しかし、しんみりとした雰囲気は、キラの携帯電話が鳴らす着メロによって、あっさりと壊される。軽快なリズムの【怪盗ルージュとアレックス・ディノ】のオープニングテーマ。
 じつに現状にミスマッチした音楽だ。小さく破裂音がする。カガリはくすくすと笑っていた。

「電話にでなくてもいいのか」

「あ、そうだね」

 キラが着信を受けたとたん、携帯電話の外と中から、

「カガリ  !!」

 アスランの声が響いた。
 小雨がぱらつくなか、アスランはカガリのもとへかけよると彼女の身体を抱きしめた。

「ごめん、違うんだ。ミリアリアは関係ないんだ」

 彼の胸のなかで、泣き止んだはずの涙がまた、こぼれはじめる。

「だったら、なんで、ごめんって言うんだ? 違うんならごめんなんて言わないだろう!」

 自分でも何がなんだかわからなくて、こんなこと言いたくもないのに。こんなことを言ったらアスランに嫌われる。
 ごほん、と後ろからワザとらしい咳払いがきこえた。

「あのさ二人とも。僕がいること忘れてない」

 雨に滴る前髪をかきあげながら、キラはむすりと腕組みをした。

「とりあえず、アスランにいろいろ言いたいことはあるんだけれど。  カガリにひとつ。アスランと一緒にいた人、近くの女子高に通っているアスランの親戚だよ」

「…………、しんせき?」

「うん。親戚。なんで僕やステラも知っているのにカガリが知らないのさ」

「親戚の人なら好きなれるだろう」

 ふるふるとカガリは頭をふる。

「あの人がアスランの好きな人なんだろう!!」

「違う!!」

 カガリの両腕をつかむと、アスランは叫んでいた。

「なんて恐ろしいことを言うんだ! ミリアリア  彼女は、俺の叔母なんだ!!」

    叔母!?」

 何人もの声が重なり合う。
 恐る恐る振り向けば、そこにはミリアリアたちがいた。
 ぱきん、と枝が折れる音がする。

「ア、ス、ラ、ン  

 ふふふふ、と目を据わらせたミリアリアがボキボキと手を鳴らす。

「ほかの人には内緒と昔から言っているでしょう?」

 後ずさったアスランが崩れ落ちた。