アスラン少年の苦労日記 Diary log:03 Autumn 2





 九月も初めだと思っていたのはいつの頃か。すでに今月は残りの日数を数えたほうが早い。
 つまるところ、日がないのだ。
 何をするにしても動かなければ準備が間に合わない。
「困りましたわ」
 つい眉根を寄せてしまう。
 勝手知ったる生徒会室でラクス・クラインはため息をついた。
 いつもなら誰かしらいる生徒会室も今は自分ひとりだけ。それだけで時計の針が進む音がやけに大きく、見慣れた部屋がどこか広く感じてしまう。
 この時期になるとひっきりなしに人が訪れる生徒会室だが、どういうことか今日に限って来訪者はいない。
 コの字形を描く校舎の切れた一角。二階建ての小さな資料館と呼ばれるそこが『オーブ』と称される生徒会の居所だ。
 ラクスは五月末を持って生徒会書記を辞した。しかし、生徒会にて卒業年次生以外のメンバーが留任することが慣例となっていることと同じように、生徒会職についていた者が秋に行われる文化祭実行委員会に属することは常だった。
 文化祭実行委員会は各クラスの代表  文化委員と生徒会で構成される。
 結局のところ実行委員会の主要メンバーには新旧生徒会役員が占め、そのためか文化祭実行委員会本部は生徒会室に置かれていた。
 まだ顔を見せない面々を含めて、今日も文化祭のために校内を東奔西走しているのだろう。この時期はクラスも部活動も文化祭の準備で慌しい。
 二年以上前から定位置となっている一人掛けのソファに腰掛け、ラクスはお茶をすする。甘い芳香とともにほどよい甘さが喉をすべりおちていく。
 テーブルの上に広げられた何枚ものレポート用紙。その全てに走り書きや赤ペンでの修正が入っている。
   迂闊だった。
 まさにそれに尽きる。こんな事を忘れていたなんて手落ちもいいところだ。
「うっかりしていました」
 時間がないことはわかっている。
 一日は二十四時間であり、一日という枠組みの中でそれ以上の時は与えられてない。だが、候補がありすぎて自分の中で絞れていない。時間がないとはいえ、手抜きなど自分の主義に反するしやりたくもない。
 ラクスは頬に手を当てた。
「どうしましょう」
「ただいま戻りました」
 扉が開き、緑色の頭がのぞく。
「あら、お帰りなさいませ」
 家にでも帰ってきたような挨拶を交わしながら生徒会室に入って来たのは、何冊ものファイルを小脇に抱えたニコルだった。机の上にファイルを置きながらニコルはきょろきょろと室内を見渡す。
「イザークたちはまだ来ていないのですか?」
 問われたラクスが時計を見ると、長針は三を指している。
「五時にはこちらに来ると伺っていたのですけれど、クラスのほうが忙しいのかもしれませんわ」
 昼休みに会ったおり、イザーク、ディアッカともにクラスの準備を手伝ってから来ると言っていた。
 模擬店を出すラクスのクラスも放課後に試食を行うから参加しないかと誘われたが、目の前にぶら下がるこの事態が片付かないままでは、クラスの準備に参加することも難しい。
「集まるまでにまだ時間がかかるかも知れませんね。アスランもさっき会った時にもう少し時間がかかると言っていましたし。でも一年生は」
「ニコル先輩、この箱はどこに置いたらいいですか?」
 箱を抱きかかえた少女がニコルに問いかけながら入ってきた。
 ラクスの姿に気づいた少女は、あわてた様に会釈をする。
「こんにちは」
 彼女はいつも挨拶をすることを忘れない。とても礼儀正しい子だとラクスは認識していた。
 今期生徒会の紅一点。長い茶色の髪が印象的な一年生のシホ・ハーネンフース。
「お疲れ様です」
 にこりと笑むと、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。
 その言葉に言い表すことが難しい初々しさが微笑ましい。
 どうしてか男所帯になってしまう生徒会の中で、二つ年下の少女は、一人っ子であるラスクにとって妹のような存在でもあった。
「シホさん、それはアスランの席の隣に置いてもらえますか。ソルくんの段ボールは、入り口のところに」
 テキパキとニコルは指示を出していく。
「はい。  ソル、聞こえた?」
 シホは後ろに振り向き呼びかける。
「聞こえたよ」
 くぐもった声が応え、足が生えた段ボール箱が室内に踏み入れる。
「重たかった……。クライン先輩、こんにちは」
 ひょっこりと顔が現れ会釈をする。彼から前方が見えているかも怪しい  大きな段ボール箱を運んできたのは、一年生コンビの片割れソル・リューネ・ランジュだ。
 どこか幼さを感じさせる風貌をした少年は、出入り口の脇に段ボール箱を下ろすと額をぬぐった。
 何が入っているのかここからうかがい知ることはできないが、見かけによらず生徒会一の怪力を誇る彼が汗をかくほどの物とは一体何だろう。
 箱の中身に興味がわくが、側面に書かれた見慣れたかくかくとした丸っこい字がその思いを留まらせた。
「これはラクス先輩のですか?」
 シホは床に落ちていた一枚のルーズリーフを拾いあげた。
「あら、ありがとうございます。わたくしのですわ」
 渡しながらシホは小さく声をあげ、ラクスを見た。
「ラクス先輩。先ほどバルトフェルド先生から先輩への伝言を言付かってきました」
「先生から? 何でしょう」
「スケープゴートは誰にした」
 少女の声に、男の声が重なる。
「……叔父さまがそう言いましたの?」
 はい、とシホは頷いた。そのあとに、どこか楽しそうな声音でした  と彼女は付け加える。
 ラクスは嘆息した。
(わが叔父ながら、いい性格をしていますわ)
 顔をあげ、ゆっくりと室内を見渡す。運び入れた荷物をニコルとソルが忙しなく片付けている。シホは奥の湯沸しスペースでお茶の準備をしているのだろう。ポットの中で踊る水の音がする。
「すみませんが、みなさん。お話したいことがありますのでこちらに来ていただけます? シホさんはそちらで構いませんわ」
 少し硬いラクスの声にニコルとソルが顔を見合わせた。
「実は……」
 そう切り出そうとしたときだ。
「ちわー」
「遅れました」
「すまん、今来た」
 扉が開き、続けさまに三人が室内に入ってくる。
 順にディアッカ、アスラン、イザークだ。
「お疲れ様です。なんだが珍しいですね、イザークたちが一緒に来るなんて」
「たまたまだ。そこの廊下で一緒になった」
 ふん、と鼻をイザークは鼻をならした。
「それでは改めまして。その前に、三人にもお話がありますので席についていただけます?」
 にこりと笑みを浮かべながら即する。アスランたちは訝しみながら席に着く。その間をシホが忙しなくお茶を配り歩いた。
「どうかしましたか?」
 なんとも言えない雰囲気の中、口火を切ったのはニコルだった。
「実はオープニングセレモニーですが」
 そこでラクスはいったん言葉を切る。シホが入れてくれたお茶を飲み、喉を潤すと小さく息を整えラクスは頭を下げた。
「申し訳ございません。実はわたくし、アレのことをすっかり忘れておりました」
「クライン嬢がミスをするとは」
「買いかぶりですわ、イザーク」
「しっかし、アレを忘れていたとはね。アレがなきゃ、うちの文化祭は始まらない」
「いや、今年は例年になくはた迷惑な  練習中に体育館のガラスや、作業中に暴れて蛍光灯を割ったといった  行いをする人が多かったからな。オープニングセレモニーの担当になっていたクライン嬢ではなくとも忘れていた俺たちにも責任はあるだろう」
 顔をしかめながらイザークは室内を見渡す。
「確かに今年は幼稚な奴が多かった」
 悩みこむ上級生を横目に、アレが何かわからない一年生はきょとんとするしかなかった。
 はい、とシホが挙手をする。
「すみません、アレとは何ですか?」
「アレと言ったらアレに決まっているだろう」
 苦虫をつぶしたように、暗号がけのような言葉でイザークは濁す。
「僕たちはアレで通じますけれど、今年が初めてのシホさんやソルくんには難しいですよね。でも、噂話でも聞いたことがありませんか。オープニングセレモニーの恒例行事を  」
 補足をするようにニコルが続けて言うが、二人にはいまいちピンとこないようだ。
  で、歌姫には何か考えがあるんだよな」
 ディアッカはラクスを見やる。
「ええ。わたくし、今日一日授業中もずっと考えておりましたもの。その成果がこちらですわ」
 ラクスは改めてテーブルの上に置いていた数枚のルーズリーフを広げた。
「文化祭まであと二週間ほどですわ。アレの準備だけに専念できればいいのですけれど、ほかのこともありますし時間はギリギリだと思いますが出来ないことはないでしょう」
「ラクス、ひとついいですか?」
 それまで黙って成り行きを見守っていたアスランは、ルーズリーフを一瞥しラクスと見比べる。
「はい。アスラン、何でしょうか」
「ルーズリーフに書かれているものが何通りもあるように見えるのですが」
「ええ、実はアレを考えていましたら、切りなくアイデアが浮かんできまして。でも、アレは午後のステージとは違い他の部活にも協力をお願いするわけにはいきませんし……」
 午後のステージとは、文化祭の準備に忙しい実行委員会に追い討ちをかけるように用意された時間だった。もともとは教員主導で行われていたものらしいが、いつしか生徒会主導となり、ステージは実行委員会のほかに教員や部活動にも声をかけ毎年なんとかやってきた。けれどもオープニングセレモニーのアレは自分たちだけで準備をしなければならない。
「それで、昨年はがっちり着込みましたので、今年はこれなんてどうでしょう」
 ラクスが取り出したのは、さきほどシホが拾った一枚だった。
「準備も簡単。配役もバッチリですわ」
 役割分担も書き込まれたルーズリーフを掲げ、ラクスは笑んだ。
「……確かにこれだと練習はする必要があるだけで、去年とは違い準備に時間を取られることはないが……」
 提示された紙と向かいに座る人物をアスランはちらりと伺い見る。
「いいんじゃねえか? 今年もある意味インパクト大だぜ。良かったなアスラン、お前、台詞ないぞ」
 ディアッカは堪えきれなかった破裂音を漏らす。彼の隣で身体を震わせているのはイザークだ。
「アスランの言う通り、練習が大変ですが衣装の用意に手間取らないし、これはこれで面白そうですね。シホさんとソルくんもいいですよね。二人が吹奏楽経験者でよかったです」
 楽しそうにニコルは同意の声をあげ、ただ一年生コンビは頷くしかない。
「……クライン嬢」
 地の底から這い出てきたような震える声。
「弁解は罪悪ですわ。異論はありませんわよね」
 反論は許さない。それは見事なまでのアルカイックスマイルだった。




***




 棚引く雲が月を隠しに行く。
 内宮の奥深くにある庭園に人気はない。
 噴水近くに置かれた長椅子にニコルは座っていた。
 飛び散る水飛沫を横目に、ゆっくりと頭を上げる。
 頭上には満点の星。南空を流れる天の川。星を結び描く星座。数え切れないほどの星たちの饗宴。明るい星もあれば、闇に紛れ幽かにしか輝かない星もある。そのどれ一つ同じものはない。木々のざわめきにかそけき虫の鳴き声。遠くからほのかに甘い花の香りが漂ってきた。
 吹き抜ける風が頬を撫でていく。
 先のはねた短髪がなびく。瞳の奥に隠れる色は一族の血を引く証。
 だが、その力はニコルにとって己を縛る枷でしかなかった。大きすぎる力はやがて器より溢れ出る。抑制を失った力は  
 小さな音がした。腕を動かすたびに鳴る戒め。
 右の手首には、小指の爪ほどの大きさをした青石を中心に複雑な文様が彫りこまれた白銀の腕輪。
 それは罪の証であり、力を封じ込める檻。
   いつか、この腕輪を……。
 風に乗り、遠くで呼ぶ声が聞こえる。
 溜息をつき、長椅子から立ち上がる。足を踏み出そうとし、それに気づいた。  とっさに振り返ると噴水を挟んで反対側、闇に紛れるように物音も立てず、ただ静かに男が一人立っていた。
 月を隠していた雲が流れ行く。薄雲に遮られていた月明かりは地上を幽かに照らし、また、男も照らす。
 男はニコルと同じ瞳を持っていた。
「……誰ですか?」
 一族の象徴であり証であるその独特の色を持つ人間は、一族の仲においても少ない。五指にも満たない人の中にニコルは男の姿を見たことがなかった。
「名を……名乗るほどの者ではございません」
 男は微笑いながら、けれど凍てつくような冷めた眼差しを浮かべて言った。
 ニコルは無意識のうちに後ずさっていた。
 この男は危ないと本能が訴える。
 くすり、と男は笑うと、懐から取り出した長方形の細長い紙を天にかざした。
 ニコルは息をのむ。
 あれは  
 一族に伝わりし秘術。
 あの紙は  呪符。
 月明かりですかして見える複雑な文様。
 小さく舌打ちをする。
 呪符の知識に乏しいニコルには、見ただけでそれが何を意味するものなのか分からない。だが、呪符の意味することが分からなくとも男が何をしようとしているのかは一目瞭然だった。
 力を封じられている今、己の身さえ守ることが出来ない。男から逃れるためにニコルは踵を返した。
 しかし、男の方が一足早く、呪を唱え終えると放たれた力は蔦となり、ニコルの手足に巻きついてくる。
 恐怖のために声が出ない。ニコルに抵抗する術はなかった。
 身体を締め付けられ、宿り木が養分をふいあげるように力が奪い取られていく。
「君に怨みはないけれど……」
 男はゆっくりとニコルのほうへ歩み寄る。
「邪魔者は一人でも少ないほうがいいからね」
   この言葉を教えておきます。
 一歩、また一歩と男は近づいてくる。
「僕の計画を成功させさるために、君には消えてもらうよ」
   決して、簡単にこの言葉を口にしてはいけません。
 この腕輪をはめた日に交わされた約束。
   もし、あなたの身になにかがあったとき。最後の最後にこの言葉を唱えない。
 そう彼女は言った。
 この言葉を唱えたならば枷は外れ、力は濁流の如く溢れ出す。けれど、今は。
 ニコルは今持ちうる全てをふり絞り叫んだ。
 たった一言。
    
 腕輪の青石から閃光が迸り、辺り一面を照らし出す。
 どこか遠くで石の割れる音がする。
 ニコルの意識は闇の深淵へ落ちていった。









book / 2008.08.16
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