| ●● 鍵を持ちし者 3 |
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閉ざされの森と呼ばれるそこは薄闇の世界においてもさらに陰鬱で鬱蒼と木々が生い茂る場所であった。森の東端に程近い場所に湖があった。 つねに覆う霧がなくても対岸が見通せないほどの広さを誇る大きさだ。その湖に面して何本もの尖塔を持つ黒く輝く城館があった。それは館というよりも城。 薔薇の花が咲き乱れる庭園が館を取り囲み、正面玄関へは丸みのある曲線を描く階段が続く。 三十日に一度だけ姿を現す太陽が山の端に隠れようとしている。赤紫に染まる空が霧に包まれていく。 太陽が出る 太陽が姿を消し、見慣れた双の月が姿をのぞかせた頃、薄暗い室内に明かりをもたらす燭火が揺れた。 その気配にアスランは書物に落としていた視線をあげる。扉を叩く音に応えを返すまもなく、その扉へもたれ掛かるようにして青白い顔色をした男がひとり入ってきた。 「疲れた」 ジャケットの袖からのぞくカフリンクスが燭火を反射させる。タイを抜き襟元を緩めながら、ふらつく足取りでアスランの向かいにある長椅子へ倒れこむように突っ伏すとそのまま無言で微動だしない。 予想に違わない人物の登場に、 「 溜息交じりに名を呼ぶと、キラは気だるそうに顔をあげた。 「毎回言っていると思うが、返事をするまで待つことはできないのか」 アスランは広げていた書物へ栞を挟みながら呆れたように見やる。 「入室の合図をすることは最低限の礼儀だと思うが」 「そんなの待ってたら、僕の身体が力尽きちゃうよ」 口を尖らせてキラは言う。 「力尽きるのであれば、あの近くにあったと記憶している《調停者》一族の本邸で身体を休めてから来ればいい」 「それだけは勘弁してください」 ぱちん、とキラは頭上で両手を合わせる。 その態度を口では咎めながらも、アスランは仕方ないと思いながら、テーブルの上へ置いていた鈴を鳴らす。小さく澄んだ音が吸い込まれるように消えていく。 キラは大仰に溜息をつきながら居住まいを正す。 「でも、あそこで休まると思う? 家以上に堅苦しくて窮屈なところだよ。なにせ、あそこには大婆様までいるからね。行けばいつも小言ばかり。ああ、あの刺すような南の太陽が恋しいよ!!」 「始まったばかりでそれを言い出してどうする。初日は顔合わせで終わりだろう。だいたい六家会議は次の《扉》が結ばれるまで続くんだ」 「あと二十九日……。先が長い」 六家会議 「《調停者》となれば毎回出ないといけなくなる」 「それを考えると憂鬱だよね」 各家の当主は参加を義務付けられていた。 「アスラン」 キラは身体を起こし居住まいを正す。 「君は出席しないの」 射るような眼差しを受け流しながらその返事は短い。 「出席はしない」 「君だって僕と同じ次代だよ。それも頂点ともいうべき《統治者》の次代だ」 「 「そんなに《統治者》に会いたくないの」 「直球だな」 「あのねえ、僕たちが何年の付き合いだと思っているの。君に言葉を繕ったところで同じでしょう」 「会いたくないわけではない。だが、会ったとしてもどうしたらいいのかわからない」 キラは呆れたように息をはく。 「ラクスから聞いたんだけれど、《統治者》の夫人が、あの二人は似たもの同士だから冷却期間が必要なのよって。息子に会えないのは寂しいけれど、親離れをしないといけないのね、とも」 ラクスは先ごろ六家のひとつ 「母のところには顔を見せにいく」 「それがいいよ。母親は怖いからね。ニコニコしていてもいつ怒り出すかわからないから」 視線を投げるとへらへらとキラは笑う。 力が抜ける。深く座るように身をなげると、足早に近づいてくる音がした。館の廊下にはすべて絨毯が敷かれている。それにもかかわらず、打ち付けるような靴音はほどなく扉の前へ止まると、規則他正しく三度打ち鳴らされた。 いつもより力の入ったノック。 応えるやいなや扉が開く。 「また貴様か《調停者》の次代!! 表から入れと言っているのが何故わからぬ!」 どうやらキラはまた裏口から入り、案内もなしにここまで来たらしい。 肩口までの銀髪を振り乱しながら、ずれ落ちそうになる片眼鏡を直しながら言い放つ。 「まあまあ落ち着けって。馬耳東風または馬の耳に念仏。ああ、キラは狼人間だから狼の耳にも 「相変わらずだねイザーク。あとディアッカなんだか失礼なこと言ってない?」 イザークに続き顔をのぞかせたのはディアッカだった。 「はっはっは。いまさら、いまさら。だいたいイザークもキラの前だけだと学院時代のノリに戻るよな」 「うるさい!」 「イヤー、あの頃は若かった」 ディアッカが持ってきたティーカップをならべ紅茶を注ぐ。四人はてんでにソファへ腰掛けた。 「 「どうだったといわれても、相変わらずだよ。五年経とうが十年経とうが変化なし……というわけでもないか。《調合者》の次代はまだ空白のままだって」 「《調合者》の一族に相応しい人物がいないか」 うん、とキラは頷く。アスランは顎に手を当て思案顔だ。 「 「はい」 「少し出てくる」 立ち上がろうとするイザークをアスランは制す。 「庭に出るだけだ。キラも今日はゆっくりしていけばいい」 「ありがとう」 光沢のあるリボンで結ばれた黒髪を背にたらした後姿をキラは紅茶と一緒にトレーに乗っていたスコーンを頬張りながら見送った。 篝火が焚かれた庭園の中をアスランは確固とした足取りで進む。レンガの敷かれた小道が右へ左へと枝分かれしていく。 館から離れるほど庭木は野の姿そのものとなる。わざと手入れをしないそれらは天然の目隠しの役目も担う。そのような細工はいたるところに施されていた。 アスランは棘の茂みに腕を伸ばすが、当たるのは棘の鋭さではない強い弾み。その反発を無視しさらに押しやると音が遠のき意識が揺れる。瞬くとそこには大きな岩。背丈の倍以上の高さをもつ立石がその場にあった。 アスランが巨石の奥に回りこむと小さな泉がある。水草が揺らぐ澄んだ水底には一枚の石版が沈んでいる。そこにはいくつもの文字が彫られていた。 「 どこからともなく声がした。 「境界は揺らぐ」 「鍵を持ちし者よ」 音もなく三人が現れる。 「過去」 「現在」 「未来」 「扉は開き結ばれる」 「我らは代理人。境界の守護者を《扉》へと導く者」 青の衣の少女が水底を指差した。 「あなたによって形は成す」 「なぜ俺なのですか」 アスランは問う。 「それはあなたがあなたであるが故に」 「あなたがどのような生まれであろうと関係ない」 「大切なことはあなたが鍵を持っているということ」 右手を泉に入れると、かちり、と錠前をあけるような、歯車が収まったような音がした。 光が石版に文字を書き入れいく。 記されたのはアスランの名。 水が湧き上がり、アスランへ襲い掛かる。それは膨大な量の情報を伴っていた。その圧倒的なものにアスランは意識が遠のく。 ただ薄れゆくなか、彼女たちの言葉が残っていた。 「あなたの就任により、境界はすべて館へと繋がった。わたしたちは守人となりましょう。時という《扉》の。我が新しき主《扉の番人》」 book / 2011.08.21
web / 2024.06.07 |