| ●● 湖上の月影 4 断章 |
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≪筆者は番人の館は【扉の番人】によって姿を変えているのではないかと考える。 過去の番人について残された書の中で館に関しての記述はほとんどない。 けれども現在の館は前任者のものとは形が違うことはたしかだ。それは形だけでなく、館の建つ場そのものが異なっているのではないだろうか。 館があるのは境界だ。この場所は他の世界の影響を受けやすい。 朱と白の双の月。三十日に一度昇る太陽。晴れることのない霧。 それは番人の故郷と呼ぶ世界に似ていた≫ インクをたらさないようにペンを置くとイザークは小さく息を吐いた。 何度書いてもこの瞬間は緊張する。 肩の力を抜いてイザークは身体を椅子に沈める。思った以上に力が入っていたらしい。 すっかり冷え切った茶を飲み干すとイザークは席を立ち書棚から一冊の本を取り出した。 つい先日のような気もするが、自分がこれを書いたのは何年も前のことだ。 少し色褪せた本のページを捲る。 一番初めのページには、 ここに記すことは事実である それはわたしが見た出来事であり わたしから見た真実であることを 忘れてはならない 初心を忘れないように一冊分の本が出来るたびに記してきた言葉。 その文字をなぞりながら、イザークは口唇をあげる。 「これが真実とは限らない。正しいとも限らない。けれどもある一面であることは確かだ」 本に記された言葉も、誰かの語りの言葉もある面だけを持ったすべてではない記憶。 「たとえその先にあるものが苦しみでも知ることは必要だ」 扉がノックされる。返事をすると遠慮がちに扉が開けられ珍しく人の形をした少年が顔をのぞかせる。 黒髪に赤い目という特異な色彩を持つ少年はこの館の主の人生に深くかかわりがある一族の一人だ。 「イザークさん」 「一冊しかない本だ。この本に書いてあることを鵜呑みにはするな。ここに書いてあることは全てではない」 それでも知ってもらいたいから彼に渡すので。 イザークが残した番人の記録を。 book / 2009.08.23
web / 2024.06.02 |