| ●● 湖上の月影 3 境界に住まいし者 |
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薔薇の園は迷路のようで、何度か行き止まりに突き当たりながらカガリとキラはやっと【扉の番人】の館に辿り着いた。 思いのほか歩いたせいか少し息がはずんでいる。 息を整えながらカガリは顔をあげる。 城館の正面にある玄関は両扉を備え二階部分にあり、そこへ通じる左右対称の階段は優美な曲線を描き、手摺りを支える柱の一本一本に緻密な彫刻が施されている。 それは他の部分にもいえることで、目を凝らしてみると城館の窓枠にまで彫刻がされていた。 感嘆の声をあげるカガリの隣から「機嫌悪そう」と言う声が聞こえてきた。 キラの視線につられるようにカガリが城館の階段を見ると、上がりきったところに男が一人立っていた。 キラとはさほど年齢が変わらないように見える男は、肩口まで切りそろえられた銀髪に片眼鏡をかけている。 似たような服装なのになぜこれほどまで違うのだろうと思わずにいられないほど隙のない格好に姿勢の良さが凄みを増す。 ただ、腕を組み不機嫌さを隠そうとせず、男はそこにいた。 キラは頭をかきながらカガリとともに階段をのぼる。 一段、また一段と階上が近づくにつれ、背筋を走るひんやりとしたものが強まっていく。 彼がムウのいう主なのだろうか。 たしかに、それらしい雰囲気はある。 「ようこそ、我が主 彼は深々と頭を下げた。 カガリの予想は外れだったらしい。 「珍しいね。イザークがここまで出迎えに来るなんて。初めてじゃない。こんなこと。 挨拶もなしに尋ねたキラにイザークは眉間に皴を寄せる。 「旦那様は現在お休み中ですので、お会いすることはできません」 「えー? ちゃんと事前に三月八日に訪問します 「休まれるということはそれしかありません。手紙での訪問のお知らせは初めて受け取りましたが、当家には五日に一度しか郵便物が届かないことを考慮した上でお出しください」 慇懃無礼な調子でイザークは続ける。 「あなたからの手紙は今日、この館に届いた。よって来訪の知らせを旦那様はご存じない 「うわッ、ストップ! ストップ!!」 そんな制止の声とともに両扉が開け放なたれ中から影が飛び出してきた。息をつく暇もなくキラとイザークの間に身体を滑り込ませる。 「姿が見えないと思ったらここに居た。早まるなイザーク。お前はこの館の執事だろう。たとえ相手が迷惑にしかならない古い知り合いでも【調停者】の次代だ。旦那を休ませてやりたいお前の気持ちはよくわかるが、執事が旦那の客人へ喧嘩を売ってどうする!」 「迷惑だなんて、失礼な言い草だね」 聞こえてきた声にキラが耳ざとく反す。 「次代は黙っててくれ」 「ディアッカ、離せ! 執事たる者、旦那様に害をなす者は排除せねばならぬだろうが!」 今にもキラに掴みかからんばかりな勢いのイザークをディアッカは羽交い絞めにして押さえ込む。しかし、彼はその腕を逃れキラの首元を握り締める。 「ぐ、ぐるじい」 キラは見かけが弱そうでも身体は丈夫なので多少のことは平気だろう。 目の前の光景をカガリは見守るしかない。 「男が三人もいて、誰ひとりエスコートできないなんて情けないですよ」 取っ組み合いになりそうな彼らを、館の中から聞こえてきた声が制す。 「ニコル!?」 玄関口に姿を見せた緑色の髪の少年に三人は声を揃えてその名を呼ぶ。 身体に合わせあつらえられた黒のコートをはおり、帽子を被った姿は外出をする出で立ちだ。 「いつこっちに帰ってきたんだ?」 止めようとした拍子に殴られたディアッカが赤くなった頬をさすりながら問う。 「ついさっきです。旦那様に用事があったのですが、休まれているとシモンズ婦人にお聞きして。それでどうしようかと考えていたらこの騒ぎじゃないですか。館の者も野次馬根性丸出しでこの通り」 ほら、とニコルが館内を示すと蜘蛛の子を散らすようにバタバタと人が逃げ去る音がした。 「お茶の用意をしておいてくださいね」 了解、とディアッカは館の中へと姿を消す。 「さて、あなた方は男性としての矜持はないのですか。レディを中へ招きいれず放っておくなんて落ちたものですね」 笑顔で辛らつな言葉を吐きながら、ニコルはカガリの方へ向く。 「【調停者】の一族のカガリさんですね」 「え!? どうして、わたしの名前」 突然、名を呼ばれカガリは慌てふためく。 ニコルもキラの知り合いのようだから、その線でカガリが【調停者】の一族のものだと考えるのは簡単に見当がつく。けれども、それではカガリの名前までは知りようがない。 「旦那様からお聞きしておりました。あなたが近日中にこの【扉の番人】の館へ尋ねてこられることも」 「ああ、そうだった」 ずれかけた片眼鏡を掛けなおし、イザークはかしこまる。 「ようこそ、【扉の番人】の館へ。【調停者】の一族のカガリ嬢」 頭を下げられカガリは瞬く。彼はキラばかりに注目していて自分の存在に気づいていないと思ったからだ。 「こちらへどうぞ」 「まずは旅の疲れを取ってください。ここの料理人のマフィンは疲れが飛ぶ美味しさですよ」 ニコルに告げられたささやきにカガリは目を輝かせる。 イザークに導かれカガリは館の中へ足を踏み入れた。 「さて、あなたはどうするのですか? ここでお茶をしていかれるのです? それとも直ぐにあの方の元へ行かれるのですか?」 玄関ホールにはキラとニコルが残されていた。 「んー、アスランが寝てるならいいや。もともと僕は彼女へ会いに行く途中でここに来たんだし。父さん 乱れた襟元を直しながらキラは言葉を切る。いぶかしむようにニコルを見やる。 「でも、どうして、君たちがカガリの名前を知っているの」 「僕たちにも守秘義務がありますから」 そう切り返されキラは言葉に窮す。 「まあ、いいや。どうせカガリを連れて扉は通れないんだから」 「そうですね。彼女は扉渡りが出来ませんから」 既に心をあちらの世界へ飛ばしていたキラはニコルの言葉の含みに気づくことはなかった。 *** 「キラがいない?」 イザークに先導されながら踏み込むたびに足が沈み込むふかふかの絨毯が敷かれた廊下を歩きながらカガリはそばにキラの姿がないことに気づいた。 辺りを見渡すがキラの姿どころか人っ子ひとり見当たらない。 「【調停者】の次代殿でしたら、あちらの世界へ出かけていかれました」 出かけたと言われ、カガリは唖然とする。 自分はここに置いていかれたということか。 「婚約者であるあの方のもとへ行かれたのでしょう」 次いで出た婚約者という単語にカガリは眉根を寄せる。 カガリ自身会ったことはないが話はよく聞く人物だ。けれども、彼女のことを聞くたびにカガリの中には言い表せないものが溜まっていく。 【調停者】の屋敷でキラの婚約を始めて聞いた日に見せた彼女の悲しげな横顔が忘れられない。 考えを振り払うようにカガリは頭を振る。 「カガリさまのご来訪は事前に【調停者】から連絡をいただいておりました。ただ日付が記されておらず近日中には来られるだろうと旦那様はもうされました。けれども 言葉を濁すイザークの後を継ぐ。 「主は寝ているから、直ぐに会えないってことだな」 「わたしは待つのは平気だぞ」 「それでは、こちらでお待ちください」 霧が覆う湖が見渡せる部屋に通された。湖に面して大きな窓があり、部屋の中央にはソファが一式置いてあった。一度辞したイザークが携えてきた銀のトレーに乗ったマフィンをテーブルの上に置いていく。 再び彼が部屋を辞するのを見届け、カガリは行儀悪く身体をソファの上に投げ出した。 甘い香りが鼻腔をくすぐる紅茶は美味しそうだし、マフィンの甘い匂いは腹の虫を鳴らす。しかし、朝早くから家を出てやってきた疲れがここで出てきたのか、だんだんと瞼が重たくなってきた。 ぱちん、と目を開くと前に人の顔があった。 身体が沈む感じがする。 彼女は今にも叫びそうに口を開け固まっていた。だが、衝撃から立ち直ったのか背を正すと彼女は頭を下げた。 「失礼しました。上掛けがずれていましたので……」 「わたしは寝ていたのか?」 身体を起こそうとしてカガリは違和感を確かにした。 自分は寝台に横になっていたようだ。 「はい。少しの間ですが。カガリ様がソファにお眠りになられていましたので、こちらへ。ここは先ほどの部屋の続き部屋となっております」 目は覚めても頭はまだ寝ているらしい。 よくよく見れば服も着ていたものではなく、寝やすいような締め付けのないゆったりとしたものになっている。 「旦那様にすぐお会いできたらよかったのですが、あの方は二日間貫徹したあとで、寝汚いこともあり一度寝付いたらなかなか起きないのです」 「わたしはシモンズです。何かありましたらお呼びください」と彼女の言葉をどこか遠くに聞きながら、カガリは身体の欲求に正直煮意識はふたたびまどろみの中へ落ちた。 薄暗く長い螺旋階段が続く。 石造りの階段に響く靴音が高い天井に吸い込まれていく。ひんやりとした空気が深く息を吸いこむたびに入り込む。ここはすべてが冷たさを感じる場所だ。 足を踏みはずさないようにカガリは石組みの壁に手をつきながら下りていく。 明かりを持っていないため、頼りになるのは階段に灯されているわずかなかがり火だけだ。 (どうして、わたしはこんな事をしているんだ?) カガリは首をかしげながら、しかし、階段を下りる足を止めることはなかった。 起きているようで眠っている。 夢を見ているのだとカガリは思った。 回りがぼやけている。その中でカガリはただ一点を目指して歩いていた。 果てなく続くような螺旋階段は終わりを告げ、この館へ来るときに通ったような細長い廊下の両側にいくつもの扉がついているのが見えた。 それらの扉には目も留めず、カガリは突き当たりのひときわ豪奢な扉の前に立つ。 扉が開く。 カガリは吸い込まれるように扉をくぐった。 四方の壁には燭台が灯され影を映し出す。 この部屋の中で唯一といっていいものが、中央にぽつんと黒塗りの棺が置かれていた。 それはまごうことなく死者が納められるもの。 「ここは安置室なのか?」 さすがのカガリも顔が青ざめる。 気味が悪くなり両腕を抱えるように身をふるわす。 何度願うも目の前の光景はかわらない。 自分は寝ぼけてこんな所へ来てしまったのか。 そこで、カガリはいやおうなしに目に入る棺の蓋が動いていることに気づく。 最初に見たとき、棺の蓋はぴったりと重なっていたはずだ。 背後に気配を感じ振り返ろうとしたときにはカガリの身体は床に叩きつけられていた。衝撃に息を詰まる。息苦しさに激しく咳き込んでいた顔の真横に何かが突きたてられ、身体を押さえられた。 燭台の明かりを受けてそれは鈍く光り返す。 恐怖に引きつる。 喉でとまっていた悲鳴が走った。 「……子ども?」 上から驚いたような声が落ちてくる。 「どうして、子どもがここに……」 連呼される「子ども」という単語にカガリの反抗心に火がつく。 「わたしは子どもじゃない!」 眼に涙をためながら、カガリはキッ、と身体を押さえつける相手を睨みつける。そこにはキラと年が変わらないように見える暗い色の髪の男がいた。碧色の瞳が戸惑うようにカガリを見下ろしている。 「 彼は何か呟き、カガリの上から身体をよけると突き刺していた剣をしまう。 カガリが乱れる息を整えているとバタバタと足音がこちらへ近づいてきた。 飛び込んできたのはイザークだ。 「旦那様!! そこで声は途切れ、 「カガリ様!? どうしてここに」 叫んだ。 それはカガリも同じだ。 目の前にいる黒一色に身をつつんだ男。 「やはりそうか。君が【調停者】からの手紙に書いてあった子か」 聞くともなしに彼は納得したように頷いた。 彼はイザークが「旦那様」と呼ぶ人物。 それはつまり 【扉の番人】 その人だった。 book / 2009.08.23
web / 2024.06.02 |