境界の守護者 2





 村離れの丘に続く舗装されていない道をあることしばし。人の気配がまったく感じられなくなった頃、眼前に二階建ての洋館が姿を見せる。
 館の外壁を覆うように蔦が這い、敷地を囲む錬鉄の塀を茨が絡め取る。その門扉は常に閉ざされ開けられることはない。天候が悪くなってきたせいか、錆付いた鍵穴が背丈の短い草の上を吹きぬける寒風に揺れ、耳障りな音を出す。
 来るものを拒み、人を寄せ付けない建物。
 暮れゆく夕日が濃い陰影を地に落とし、辺りが薄ら闇に包まれて行く中、館内に灯された明かりが不気味その形を照らしだす。
 背に広大な森を控え、濃緑の蔦に繋ぎとめられている洋館はただ静かにその姿をさらしていた。
 その館の門扉の前にカガリは立っていた。
 吹き付ける風が外套の裾で遊んでいく。
 令嬢と荒れ果てた洋館。
 なんとも似つかわしくない組み合わせだが、カガリ自身は気にもとめていないようだ。
 カタカタと壊れた風見鶏が鳴いている。
 この地に吹く風はいつも冷たい。何かを拒絶するかのように、丘の上はいつも風が吹いていた。だが、それさえも懐かしさを感じさせるもの。

「ボロそうな館だな。ここに【扉の番人】が住んでいるのか」

 カガリの足下から声がした。黒毛に赤い瞳を持った子狼が二本足で立ち上がり腕組みをしている。
 首元に赤いスカーフを巻いて格好をつけているつもりらしいが、いかんせん幼い風貌が笑いを誘う。

「見かけに騙されるなと言われなかったか。それにシン、お前はどんな建物を想像していたんだ」

 問われてシンは首をかしげた。

「もっと立派そうなやつ?」

 カガリは笑う。

「だってさ、うちはこんなにボロくないぞ」

「そりゃそうさ。【調停者】の一族は人間界にとけ込んで人間と付き合っていかないといけないからな。物事を解決するには様々な力がいるからある程度の見栄えは必要だ。でも【扉の番人】は人間界とわたしたちの世界を結ぶ出入り口を管理し守っている守護者だからな。うちほど立派じゃなくていいんだ。むしろ、隠れ家みたいなほうがいい」

 カガリの説明にどこか納得のいかない顔でシンは、ふーん、と頷いた。

「おい、カガリ」

「カガリさんと言えと言っているだろう」

 右から左へ聞き流しながらシンは尋ねた。

「【扉の番人】てどんな奴だ」

「覚えてないのか? あんなにあいつに引っ付いて離れなかったのに」

「いつの話だよ」

「シンがまだちゃんと歩けなくてはいずり回っていた頃だ」

 それはシンが物心付く前のこと。
 そんな大昔のことなんて知るか、と顔を背けた。そこではた、とシンは顔をあげる。

「親父は【扉の番人】を知っているのか?」

「知っているもなにも、あいつら親友だぞ」

 親友という言葉にシンは目を丸くする。
 シンの記憶にある限り、父親はいつも【扉の番人】に対して悪口雑言を並べ喚いていた。息子である自分絡見ても、いい年をした大人が情けないと思うほどだ。それを母親がどつきながら諫めているのがシンの家のお約束だった。

「じゃあ、なんでカガリは駆け落ちしたんだ?」

 あの日のことはシンもはっきりと覚えている。なぜなら、小さなボストンバックを片手に持ったカガリが姿を消す前、最後に会ったのがシンだからだ。あの後、家族は上へ下へと大騒ぎだった。
 カガリはシンの頭を小突く。

「大人にはいろいろな事情があるんだよ。シンが大きくなったら解るさ」

 不服そうにシンは口を尖らせた。
 ふにゃ、とカガリが胸元に抱くくるみの中から小さな声がもれる。声を上げたのは、顔をくしゃりとゆがめ、今にも泣きそうな赤子だ。とんとんとカガリが抱きなおすと安心したように寝息をたてはじめた。
 カガリはふわりと笑みを浮かべる。

「ステラ、もうすぐ会えるからな。  シン、置いていくぞ」

 耳障りな音をあげ、門扉を開ける。
 軽く押すだけで壊れた扉は簡単に開く。
 洋館の正面玄関へと続く石畳を歩いていく。手入れがされていないのか、敷石はところどころ欠けている。
 光と影が入り混じり鬱々と茂る枝葉が空を隠す。等間隔で設置されている灯りが標となり道を作っていた。

「番人の館があるのはあちらとこちらの狭間だ」

 玄関へと続く石畳を歩いていると辺りの視界が霞む。 霧だ。日暮れによる冷え込みとはまた別の冷気が館を包んでいく。
 門をくぐったときには見えていた洋館も、今ではすっかり霧の中だ。

「さっきまで見えていた洋館は、番人の館であって館に非ず。本当の番人の館には行くには、あの洋館の中へ入って手順を踏む必要があるんだが、裏口を使わせてもらおう」

 シンがじと目を向ける。

「家に帰るんだからいいんだよ」

 カガリは肩をすくめると、小さな声をあげ踵を返す。

「どうしたんだ」

 来た道を返すカガリにシンは慌てて後をついて行く。

「久しぶりだからか道を間違えた」

「しっかりしろよ、おい」

「悪い、悪い。ああ、ここだ」

 カガリが歩みを止めたのは、少し外れた場所にある園庭だ。視界が利かない霧の中であっても鮮やかな赤い薔薇だけが光を当てたように浮かび上がっていた。
 そこはおかしな庭だった。
 季節はずれにも係わらず咲き誇る薔薇の花。
 霧の中へ薔薇の垣根がつくる迷路が続いている。
 そこへカガリは淀みない足取りで奧へと進む。
 その薔薇園の最奧にあったのは大きな岩だった。
 重なり合うように接する岩は、どうなっているのか隙間なく引っ付いているようだった。

「扉を開ける呪文を知っているか」

 唐突な問いにシンは高らかに前足を上げる。

「開けゴマ。閉じよゴマ」

 それは先日読んだ物語に出てきた魔法の呪文。

 しかし、シンの声は霧の中に吸い込まれてしまい何も起こらない。

「オーソドックスだな。だいたい開けたいのに閉じてどうするんだよ。それにその呪文で開けば裏口じゃなくなるだろう」

「な、そんなの知るわけないだろう。適当に言ったに決まってるだろう。馬鹿にするな」

 両目を吊り上げて、シンはていっ、とカガリの足を蹴るが勢いあまってこけてしまった。

 実に情けない狼だ。

「シン。落ちるからな」

 こけたまま、間の抜けた顔でシンが見上げる。
 カガリは肩を竦めると、赤い石の嵌る指輪をした手を岩にかざす。指先が岩に触れると石は共鳴しあうように赤い光を発し、光は岩を中心に円を描くように複雑な模様を編み上げていく。

「我は境界の守護者  【扉の番人】より鍵を与えられし者。いざ、開かん。境界への扉!」

 唱えるやいなや、景色が一変する。
 いや、そう見えているだけかもしれない。
 風が吹き、霧がうごめく。
 強い力に引き寄せられる感覚が身体を襲う。
 足元の地面が消え、カガリたちは落ちていった。




 目の前には何本もの尖塔を持つ黒く輝く城館が湖に面してあった。
 洋館というよりも城のようだ。
 薔薇の花が咲き乱れる庭園が館を取り囲み、正面玄関へは丸みのある曲線を描く階段が続く。階段の手摺りを支える柱にはすべて蔦の彫刻が施されている。
 それはとても優美な建物だった。
 いつ見ても、とシンの言ではないが、あの洋館との差異に驚きを得てしまう。  傍らでシンが呆けたように城館を見ていた。
 カガリは誇らしげに胸をはる。

「ここが【扉の番人】の館だ」

「さっきのと全然違うぞ」

「言っただろう、番人の館であって館に非ず  と。ここはまだ境界だが、あの湖の先はわたしたちの世界だ」

 そして、カガリも知らない世界と接している。
 薄ら白い霧に遮られた湖を指差す。
 霧は惑わせ導くもの。
 ここは世界の境目であり、交わる場所だ。
 空に朱と白の双月が浮かぶ。
 人間界にはありえない双の月は、こちらの世界にやってきた証。境界とはいえ、ここは人間界よりもあちらの世界から影響を受けやすい。
 月が出ているからといっても夜だとは限らない。明け方の空に白い月が出ているような明るさだ。それもそうだろう。空に双月が昇るのは、人間界風に言うと昼の時間だ。
 カガリたちが正面玄関に向かい階段を上ろうとしたとき、勢いよく両扉が開き蝋燭に火が灯った燭台が飛び出してきた。

「奥方、やっと帰ってきた。はやく旦那をどうにかしてくれ!」

 火がついたり、消えたり。身振り手振り全体を使って喋る燭台はカガリに訴えてくる。

「カガリさま、カガリさま、カガリさま  !!」

 燭台に続き、ポットやコップ、羽根はたきなど次々に現れ、不協和音のごとく口々に叫びながらカガリを取り囲んでくる。

「な、なんだ、こいつら」

 怯えたようにシンはカガリの後ろに隠れ、首だけのぞかせる。傍観してその様子を見ていると遅れて、何かが見下ろすように立ちはだかった。
 シンの家の居間に置いてあるような置時計だ。真ん中の文字盤の針がぐるぐると勢いよく回っている。

「お前たち、玄関先で騒ぐやつがいるか  !!」

 時計が一喝した。
 ぴたりと動きが止まる。
 その姿にカガリは見慣れない、だが、どこか見覚えのある姿が重なる。

「もしかしてお前、執事のイザーク?」

「もしかしなくてもそうだ」

 不遜な物言いで、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように階段を下りてくるとイザークはカガリの前で腰を折るような仕草をする。

「お帰りなさいませ、奥様。お嬢様。旦那様が首を長くされてお待ちになっております」









book / 2008.08.24
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