| ●● 来訪者 |
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「あらあらあら」 「どうかしたの? お母さま」 母自ら調合したお茶を点てながら、少女は小首をかしげた。母がこのような声をあげたときは、何かしら変哲のない日常とは変わったことが起きたときだ。 大きな壁掛けの鏡を覗き込みながら、母はどこか面白そうに口元に手を当てる。 「お願いを聞いていただけるかしら」 「お願い?」 ええ、とティーカップを受け取ると、母は右手をかざす。すると、形のない液体は磁石に引き付けられる砂鉄のように導かれるまま姿を変える。 「今から【扉の番人】のもとへお使いに行って来てくださいな」 するり、と指差す先には、水の膜を被り水面のようになった鏡に映る薄ら白い霧の向こうに見える黒い城。 「そろそろ頃合かと思いましたの」 何が、と問うたところでこの人が答えをくれるわけがない。それよりも、大判を切ってあの場所へ行けられるのだ。母のお使いだろうと何だろうと彼に会えるのであれば願ったりだ。 「お母さま、あたし、行く。行ってくるわ!」 少女は嬉しそうに、力強く頷いた。 *** 互いの世界が接する境界は境目。 そこは同異が混在する絡み合った場所。 境界は【扉】と呼ばれる出入り口で結ばれている。世界を渡るには扉をくぐらなければならない。 惑わせ導く霧に包まれた館には、唯一のすべてに接する扉。 それを守護するのが【扉の番人】だ。 空に昇る双月が湖に影を落とす。 絶えず咲き誇る薔薇の迷路を抜け、曲線を描く階段を四本の足を使い二個飛ばしで駆け上がっていく。 狼の姿でいるのは、「持って行って」と祖母から託された荷物を人の姿だとうまく持つことができないからだ。ただ、身体が小さいためにちまちまとしか動くことしができないのが難点であり、不満なところだけれど。 シンの家にはいる門番も、番人の館にはいない。 そもそも、館は湖と果てのみえない薔薇園に囲まれた場所だと知ったのはつい最近のこと。それ以外には何もない。けれども、どこかで違う世界と繋がっている。 初めてここへ来たときはカガリに連れられ裏口から入ってきたが、二度目に来たときは正規の入り口である【扉】を通った。 その【扉】は日によって場所が変わるのだと、人間界側で【扉】を見守る守人夫妻の主人が面白そうに言っていた。 あちらの場所が変われば、こちらの場所も変わる。 シンはいつしか【扉の番人】の館の薔薇園についてかなり詳しいと自負するようになった。 重厚な黒光りのする正面の扉を、シンは前足でべしべしと叩く。扉には装飾の施されたノッカーが着けられているが、シンには位置が高すぎて届かない。 以前、館の執事をつとめる男に低い位置にも付けてくれと言ったところ鼻で笑われた。 耳障りな音がして扉が開く。 出てきたのは人間の姿をした銀髪の男だ。 「またお前か」 上から見下すように言われ、シンはぴくりと目を吊り上げる。 よくあんなので執事がつとまるものだ、とシンは思う。 「ステラのところへ遊びに来たんだ!」 「 くるりと彼は背を向けて踵を返す。 (俺はお客だ!!) 回廊を進む。等間隔に灯された蝋燭が壁に掛けられた誰とも知れない肖像画を炙り出す。 (肝試しには最適な場所だよな) 狼人間らしかぬ発想でシンは思う。 シンの家 男が扉の前に立ち止まりる。 その様になる立ち姿は非常に美しい。 常々、父親に似たのね、と呆れ果てる母親から、「イヌ科のくせに猫背になってどうするの」と怒られている自分とは大違いだ。 「失礼いたします。旦那様、お客様がお見えです」 開かれた扉の向こうには窓を背にしてソファに腰掛け、ティーカップを片手に書類を見ているアスランがいた。 ソファの後ろには大きな机。壁一面には書棚が備え付けられ見たこともない文字の書物が並んでいる。 いつもならカガリのもとへ案内をされる。しかし、自分が連れて行かれた先にいたのは、黒一色に身を包んだこの館の主にして境界の守護者たる【扉の番人】。 「シン……?」 顔を上げたアスランは驚いたようにシンを見る。 「カガリとステラは、キラに呼ばれて【調停者】の館に出かけたが会わなかったか?」 (キラに呼ばれて出かけて行った) ちょっと待てよ。あの人に朝会ったとき、祖母のお使いで【扉の番人】のところへ行くと言ったらこころよく送り出さなかったか。 何が僕のかわいいステラちゃんによろしく、だ。 「あ、あのクソ親父 「負け犬の遠吠えか」 いつの間に用意してきたのか、無関心そうにお茶を入れながら男が笑う。実に腹正しい。 「イザーク。シンがかわいそうだろう」 「失礼をいたしました。わたしはこれで下がりますので何かございましたお呼びください」 ああ、とアスランは男が出て行ったのを待ち、手招きをする。 「こっちでお茶をどうぞ。今日はどうしたんだ?」 好物のケーキも一緒に差し出されシンはふらふらと歩み寄っていく。ここの料理人が作るケーキは、甘くないけれど何個でも食べられるから好きだ。 よく腹いっぱいケーキを食べて帰って夕食を残しては母に叱られているが、目の前の誘惑は抗いがたいのである。 「ばーさんがこれを持って行くように、て」 背中に背負っていた風呂敷包みの中身は、ラッピングがされた何かの瓶詰めだ。 そうえば、何が入っているのか祖母から聞いてくるのを忘れていた。だが、いくらあの父の母とはいえ、変なものではないだろう。 「もうそんな季節になるのか。ここは移ろいなど何もないからわからなかった」 頬を緩ませて、彼は嬉しそうに笑んだ。 綺麗な笑みだとシンは思う。 「これは桃の砂糖漬けだよ。【調停者】の夫人には昔からいただいているんだ。あの方は聡いから俺が好きだと口にしたことがなくても毎年、この時期になると送ってくださる」 ケーキを頬張りながら、シンは目を丸くする。 あののんびりとした雰囲気を持つ祖母は意外と凄い人らしい。けれども、あの重いと思い持ってきたものの中身が瓶詰めだと知るとどこか物悲しくなるのはなぜだろう。 「旦那様は今、来客中だ」 廊下から聞こえてきたのは低く鋭い声。どことなく緊迫したように聞こえるのはどうしてだろう。 「あの方の名代で来られたとはいえ、我がままは許されませんぞ」 「えー、いいじゃない。ミーアはアスランに会いたいの」 高い少女の声が続き、足音がこちらに近づいてくる。 「 イザークが乗り移ったかのように、乱暴に首根っこをつかまれて、シンは身体を持ち上げられる。 「へ?」 「アスラーン」 扉が開かれるのと同時。シンはソファの後ろ側に放り投げられるように追いやられた。 語尾に甘ったるさを滲ませながら少女が入ってきた。 ソファの影になってこちらから姿を見ることはできないが、母親がつけているような匂いのきつい香水が鼻につく。 母親にしてもだが、そもそも狼人間は鼻の効きが多種族に比べて格段にいいのだ。そこら辺を考えてくれよ、とこれまた言いたくても言えられない。 「あら、お客様がいたの?」 テーブルの上にそのままになっていたカップや皿を見つけたのだろう。 あっという間の出来事だったから、美味しくケーキを食べていたはずなのに、今、自分の右手には何も刺さっていないフォークしかない。 すぐそばにある食べかけのケーキが果てしなく遠い。 「わたしは先ほど、旦那様には客人が来られていると申し上げたはずです」 あの憮然とした声は執事だ。 それにしても、アスランの執務室 だろう、この部屋を見るかぎり に問答無用で突入をしてきたあの少女は何者なのだろう。 「ミーア。悪いが少し席を外してもらえないだろうか」 様子が気になってこっそりと移動をする。 ソファの端から覗くと部屋の正面に件の少女らしい寒そうな格好をしたピンク色の髪の女がいた。 「いいじゃない。それにお母さまから館に着いたら真っ先にアスランの執務室に行きなさいって」 「ラクスがそう言ったのか」 「ええ、そうよ」 ここからは影になって見えないが、アスランは何か思案をしているようだ。 「君は父親のことを覚えているか」 何を突然言い出すのだろう。 そんな主をよそに執事は静観を決め込んだのか、一流の執事はそんなものなのか、先ほどから一言も発することなく事の成り行きを見守っているようだ。 「お母さまに三行半を突きつけて逃走して、こっちの世界に出きり禁止を食らって、さらに次代のくせに一族の立場を悪くして、人間界で幼馴染か何かの女と一緒になってアスランが駆け落ちをする原因になった男のこと?」 シンは首を傾げた。 どこかで聞いたことがあるような話が混ざっているのは気のせいだろうか。それもこの境界に来るようになってから聞いた。 「よく知っているね」 「そりゃあ、興味もないのに一々喋っていく小うるさいのが多いもの」 「なら、キラが人間界で結婚をしたメドゥーサ一族の娘との間に子を成していることも知っているな」 キラとは父の名前だ。 そして母はメドゥーサ一族に連なる家系の生まれ。 父と母の昔の話は聞いたことがない。ただ幼友達だったと聞いているだけ。ほかは何も知らない。 家で仕えるものたち誰もが口をつむぐからだ。 なぜ、と思った。 どうして誰も話をしてくれないのだろうかと。 あの日。カガリが駆け落ちをした日。 穏やかな祖父が父と言い合いをしていたことを覚えている。その剣幕に足がすくみ、母がふと漏らした言葉がどうしても忘れられない。 ( わたしたちのせいね。あの二人が一緒になれなかったのは) 「ええ、聞いているわ。あの男は【調合者】を捨てて 「ミーア、人を貶めるような言葉を言ってはいけない。 やさしい声が降りてくる。 小さくうずくまっていたら、アスランが抱きあげる。 目の前には艶やかな母の髪とは違う髪色の少女。 「紹介しよう。君の異母弟のシンだ」 「おとうと?」 「そうだ。君がずっと欲しいと言っていたきょうだいだよ。シン、彼女は異母姉のミーア」 「あたしの弟? このふわふわもこもこが!?」 驚いているのか、嘆いているのか。 シンもだが、彼女自身も言い表すことのできない感情を抱きながらも少女は飛びつくようにアスランの腕の中にいたシンを抱きかかえる。 突然、弟だ、姉だ、といわれても混乱した頭では何も考えられない。 「イザーク。別の部屋に改めて二人分のお茶を用意してほしい」 「準備は整っております。こちらへ」 有能な執事は主人の先を読むのだろうか。 「話をしてみるといい」 アスランは言った。 *** 「あの二人を会わせればよかったのですね、ラクス」 「ええ、そうですわ」 誰もいなくなった部屋に女の声が落ちる。 窓ガラスが鏡のようになり、その中にミーアに似た女がいた。いや、ミーアが似ているのだろう。 「いつかはあの子たちを会わせなくていけませんもの」 「俺も急に言われたときはどうしようかと焦りましたよ」 「あら、残念。わたくしも焦るアスランの姿を見てみたかったですわ」 楽しそうに微笑むラクスに、アスランは頬を引きつらせる。 「俺で遊ばないでください」 「それにしても、アスラン。あなた、もう少し言葉を選んだほうがよろしくはなくて」 にこり、と言い切られた言葉に、アスランは目をそらすしかない。 「それは……。難しいですね」 鏡に映るラクスは最後に会ったときと変わらぬ姿をしていた。あの時から変わったものなど何ひとつない。 自分たちもだがあちらの世界に住む人は長寿をほこる。すでに成人とよばれて久しい、再度、見かけの変化が訪れるのはまだまだ先だ。 それでもずいぶんと時が流れた。 「奥方はお元気にされております?」 「ええ、元気ですよ」 あちらの世界から出ることが叶わないラクスと、あちらの世界へ行くことを躊躇するカガリが会ったのは一度きり。 「手を伸ばせば届きそうなのに届かない。この距離がもどかしいですわ」 それは動かない理由と動けない定め。 「あなたのお嬢さまは奥様に似て可愛らしい、とうれしそうにお話をされておりましたわ。会いにいけられないのが残念だとも」 「あの子にも会わせてあげたいですけれど、あの人は許さないだろうし、俺もあそこへ帰る気はありませんから」 だからこそ、【扉の番人】としてこの地に留まっているのだ。何よりも血を尊ぶ一族。その一族の長たる父に反して。 「アスラン……」 「元気にしていますか」 誰がとは言わない。 「ええ」 ラクスの返事にアスランは安堵の息を吐く。 今はまだ無理でもいつかまた book / 2008.08.24
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