湖上の月影 2  薔薇迷宮





 昼と夜の境。
 西の空の端が赤く染まる。明かりは吸い込まれるように薄れていき闇が覆う。  舗装されていない道の境は徐々にその境を滲ませ消えてしまう。街では街灯が煌々と道を照らすのに対し月明かりが道標だ。
 都から遠く離れた小さな村の外れに一軒の洋館が建っていた。

「キラ、お化け屋敷だ」

「探検はしないからね。カガリ」

 目を輝かせて洋館を眺めている少女の傍らに立つ青年は念を押すように釘を刺す。
 白色のリボンで飾られた帽子に隠された金色の瞳が不服そうにキラを見上げる。まだ子どもらしさが抜けない年頃らしい。
 夜も明けぬうちに街にある家を出て、丘陵をぬうように北へと向けて走る汽車に揺られてきたせいか、村の駅に着いたときにはカガリは疲れも相まって不貞腐れていた。しかし、館を前にしてそれまで機嫌の悪さはどこへやら。すっかり興奮した面持ちだ。
 館の外壁を覆うように蔦が這い、敷地を囲む錬鉄の塀を茨が絡め取る。
 屋根の上で寂しく壊れかけた風見鶏が啼いている。
 閉ざされた門扉には、錆付いた鍵穴が草原から吹き付ける風に揺らされ耳障りな音が奏でていた。暮れとともに灯された明かりが館の内側から不気味な姿を煽りだす。それはまさにカガリが物語を読んで得たお化け屋敷そのものだった。

「さあ、あとちょっと到着だよ」

 鍵が壊れているのかキラが押すと門は簡単に開く。
 洋館まで続く轍が残る欠けた敷石の上を二人は歩いていく。
 間近で見ると洋館は思った以上に大きい。これだけあればわずかな土地に無理やり建っている街の狭いアパートが何棟建つだろうか。
 扉にも錆付いたノッカーがあったが、キラはためらう事無くドアノブを手にし開け放つ。そこには高い吹き抜けをもつ玄関ホールがあり幾何学模様を描く床が敷きつめられ、両翼へのびる長い廊下があった。
 踊り場を持つ階段が上へ続く。
 しかし、中は外観以上にお化け屋敷の様だ。
 くもの巣がかかったシャンデリア。壊れた階段の手摺り。歩くたびにホコリが舞い上がる床。よくよく見れば窓ガラスもヒビが入り割れているものもある。
 受け皿に蝋の残りがこびり付き、明かりはほとんど灯っていない。

「ここが目的地なのか?」

 カガリが怪訝そうにキラを見やる。
 その疑惑の眼差しにキラは問うと、

「僕のこと疑っているでしょう」

 うん、とカガリは勢いよく頷いた。

「ここは出入り口なんだよ」

 肩を落としてみせながらも得意げに告げたキラに対し、カガリはさらに眉をひそめた。

「当たり前だろう。ここは玄関だから出入り口だぞ」

「え? あ、うん。そうだね。ここ玄関だもんね」

 しょ気ながらキラは階上へ視線を向ける。

「出入り口は出入り口でも建物に出入りする扉とは違うよ」

「キラは今日どこへ行くか教えてくれなかったぞ。ずっと、カガリが行ったことがないところ  じゃないか」

「そうだね。では、秘密にしていた行き先を我が家のお姫様にご紹介いたしましょう。これから向かうのはこことは違う世界」

 ここでいったん口上を切り、キラはカガリの目線にあわせる。

「僕たちがこの世界の人間でないことは知っているね。そして、どこの世界にも属さない【扉の番人】の館。そこが今日の目的地だよ」

 キラはカガリの手を取り、ところどころ穴の開きかけた階段を上る。
 二階へと上がるとそこも一階と変わらず灯りの少なく先が見えない廊下が左右に伸びていた。
 上がったところから突き当たりの壁伝いに数えて右へ十六歩。扉もなく絵画もかかっていない薄汚れた壁に向かいキラはノックする。二度続けて鳴らし一拍おいて三度。そしてまた間をおいて一度。
 すると何もなかった場所に、色が水に溶け込むように混ざり合いやがて木製の扉が現れた。
 カガリは息をのむ。
 扉にはカガリが見たことのない意匠のノッカーがついていた。
 ノッカーにキラは右手の人差し指に嵌めていた「天秤を食む獅子」が彫られた指輪をかざす。すると、どこからともなく歯車が回る音が聞こえてきた。その音はだんだんと大きくなり、やがてガチャンと何かが外れる音がする。

(ここはからくり屋敷か!?)

 カガリは目を瞬かせる。
 一連のキラの動作を見ていたが、何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。

「鍵が開いたよ」

 行こう、とキラは扉を開け、カガリの背を押す。
 扉の先には一本の長い、果てが見えないほど長い廊下があった。絨毯が敷かれ、等間隔に燭台が並ぶ。それはただ長いだけでどこにでもある廊下。
 いったいどうなっているのだろう。
 この館を正面から見たとき、裏手には森が広がり奥行きがありそうにも思えなかった。
   なにより。
 扉をくぐると空気が変わる。
 それは今までいた場所とは異なるもの。
 嫌な感じはない。しかし、今まで感じたことのない空気にカガリはとっさにキラの服を掴む。

「どうしたの?」

 驚いたようにキラが見れば、どこか不安げな顔をしたカガリがいた。

「そうか。あっちとこっちは違うから。カガリはそれを感じたんだね。大丈夫。何もないから」

 カガリにとって永遠にも感じられる廊下を抜けるとまた扉が一枚あった。
 今度はその扉をノックせず開ける。
 扉の先は明るい光が満ちていた。




「だれかと思えばキラじゃないか。珍しいな、ここから来るなんて」

 眩しさに焼かれた目を何度も瞬いて慣らそうとしているとそんな声が飛んできた。

「お久しぶりです。ムウさん」

「なんだ? あっちにいる彼女へ会いに行くのか?」

 からかい混じりの声音にキラは苦笑する。

「半分正解で半分外れです」

 未だに違和感を持つ眼だが、だんだんと感覚が戻ってきたのかその姿を認識できるようになった。
 彼はキラに比べて引き締まった体つきの金髪の偉丈夫だ。旧知の仲らしく、二人は当たり障りのない世間話を始めた。
 カガリはようやく眼が元に戻ったことで落ち着いて辺りを見回すことが出来た。
 そこは先ほど通ってきた廊下と違わない細長い通路だ。
 ここへ入ったときは眩しいと感じた明かりも強くない。ただ、差異はひとつだけ。数え切れないほどの扉が両側に並んでいる。
 カガリの目の前の扉と隣にある扉は形もよくよく見るとノッカーの意匠が違う。
 わけがわからない事だらけだ。ここがキラの言っていた【扉の番人】の館なのだろうか。

「あ、そうだ。ムウさんこの子は【調停者】の一族のカガリです」

 そう言ってキラはカガリを前に出す。
 忘れていなかったのか、とカガリは心中でそっとつぶやく。
 今までキラの背に隠れていたために同行者に気づいていなかったムウは驚いたようにカガリを見た。
 不躾な視線を感じ、カガリは不快さを覚える。
 その視線はやがてカガリの右手で止まった。

「キラ、この子はまだ扉渡りの年齢に達していないんじゃないのか?」

(扉渡り?)

 初めて耳にする言葉にカガリは傍らのキラを見上げた。ムウの鋭い一言にキラは素直に返す。

「はい。まだカガリは【扉】を渡れる年齢ではありませんけれど、渡りきらなければ大丈夫ですよ」

「主のところか。  お前さんにまともな答えを求めた俺が間違っていた」

   主?

 茶目っ気たっぷりの答えにムウは呆れたように額に手を当てる。

「よく許したな、あの人も。まったくお前の一族には付き合いきれん」

 愚痴のようなものをこぼしながら、彼は気を取り直し、流れるような動作でカガリの手に口付けた。

「先ほどは失礼した。一応、仕事なもんでね。改めまして、小さなレディ。俺は人間界の【扉】を守る守人のムウだ」

「カガリだ」

「威勢のいい嬢ちゃんだな」

 元気のいい返事にムウは笑んだ。
 そこでカガリは疑問を口にする。

「キラは今日、【扉の番人】の館に行くと言っていたがここはどこなんだ?」

「扉渡りの年齢に達していないなら、まだ知らされてないか。ここは人間界の扉が集まっている場所だ」

 ムウはさきほどカガリたちが出てきた扉から五つ離れた扉を指差す。

「嬢ちゃん、ここの扉を開けてみるといい」

 言われるままにカガリは扉を開ける。
 すると  

「キラさま、カガリさま。もうお帰りですか」

 そこには見慣れた男がいた。【調停者】の一族に使えるキサカだ。カガリは目を見開く。なぜなら彼がいるのはカガリが暮らす屋敷の三階の北廊下だからだ。

「違うよ。さっき来たばかりだし、僕はまだあっち行ってもないんだよ。まだ帰らないから」

 言うやいなやキラは扉を閉じる。

「……キラ、どうしてこの扉の向こうにキサカがいたんだ? あれは屋敷のように見えるたけれど」

「察しがいいな。そう。この扉は都にある【調停者】の一族の屋敷と繋がっている。ほかの扉も同じようなもんだ」

 ムウの言葉にキッ、とカガリはキラを睨む。

「あの扉を使えば屋敷からあっという間に来れたじゃないか」

「それがダメなんだよ。扉渡りが出来るようになったらまずは地道にここまで来るようになっているんだよね」

「わたしはまだその年齢になっていない、とおっさんが言っていたぞ」

「嬢ちゃん、おっさんはやめてくれ」

「仕方ないよムウさん。カガリの年齢からすれば、見掛けは若そうでもおっさんなのは事実なんだから。  結局はこの道を通るんだから、時期が少し早くなったと思えばいいんだよ」

 ふぅ、とムウが肩の力を抜く。

「ここで時間を潰していても仕方がない」

 ムウを先導に長い廊下を歩いていく。行けども同じ景色ばかりで、どれだけの距離を歩いたのかつかめない。
 やがて、果てがないと思われた廊下に突き当りが現れた。そこにも扉がある。他の扉とは違い鍵穴のついたそれをムウは腰帯につるしていた鍵束から鍵を抜き、扉を開ける。
 驚いたことにそこはあの廊下を抜ける前にいた館だった。だが、荒れ果て室内は一変している。
 煌々と輝くシャンデリアにくもの巣は張っていないし階段の手すりは染み一つとなく光沢を帯びている。床にはチリひとつ見当たらない。

「扉は開いている。  キラ、重ね重ね言うが嬢ちゃんを決して【扉の番人】の館から出すな。もし他の世界に紛れこんだら彼女だけでなくお前にも相応の罰が与えられることを忘れるな」

「はい。ありがとうございます」

 頭を下げるキラに習いカガリもお辞儀する。次に頭を上げたときには男の姿はいつの間に去ったのか姿がなかった。
 さきほどから驚くことばかりだ。それよりもムウの言っていたことはどういうことだろうか。
 カガリは不安になりキラを呼ぶ。

「なあ、キラ。わたしを連れてきちゃいけなかったのか?」

「カガリは気にしなくていいよ。まだ十四にならないから扉渡りをする資格がないからカガリは他の世界に行ったらだめなんだけれど、行き先は番人の館だから。  さあ、行こうか」

 来た道を戻るように廊下を壁伝いに左に十六歩進み階段を下り、まっすぐ進む。正面には扉がある。

「この扉を通ったら今度こそ【扉の番人】の館だよ」

 かすかな音を立て扉が開く。
 まず飛び込んできたのは鼻腔をくすぐる薔薇の匂い。
 次いで視界一面に広がる薔薇の園。
 湖のほとりに何本もの尖塔を持つ黒く輝く城館が建っていた。
 凪いだ湖上には霧が漂い、空には見たこともない朱と白のふたつの月がある。振り返ると今出てきたばかりの扉が消えどこまでも薔薇が咲いていた。

「ここに出たか。毎回、扉の開く場所が違うから嫌なんだよね」

 ぶつくさと文句を言いながら、しかし、それが当たり前であるのかキラは扉が消えても動じていない。

「ごめんね、カガリ。今日は場所が悪くて館までけっこう歩かなきゃいけない」

「歩くのは平気だぞ」

「よし。じゃあ、行こうか」

 迷路のように入り組んだ薔薇の園の中をカガリとキラは遠く見える城館を頼りに歩いていく。

「眠たくない?」

 ふたつの月が出ている時間は昼だと言うが、あちらの世界ではすでに夜の時間だ。そろそろカガリの体内時計は眠る時間になっているはずだ。

「汽車の中で寝たから、眠たくないぞ」

 カガリは元気よく笑った。









book / 2009.08.23
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