| ●● Promettre son amour 2 |
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目を覚ますと、カーテンを通して眩しい陽光が入り込んできていた。眠りから醒めきっていないのか、夢現をたゆたっているように頭がぼんやりとしている。地に足が着いていないような浮遊感。ぼんやりと目をまたたくと視界がクリアになってきた。 「……朝……」 室内は人工のものでない、明るい光が満ちていた。 キラはゆっくりと身を起こすとベッドから出て、窓辺へ立つ。カーテンを開けるとそれまで遮られていた光が飛び込んできた。 窓の向こうには、青い空が広がっている。遠くに白雲がポコポコ浮かんでいた。少し手元に力を入れ、窓を開くと潮風がカーテンをはためかした。 目映い光に目を細め、窓の桟に手を掛け、植物のように光を浴びる。少し、突き刺すような南国の陽射し。 波音に乗り、歌声が聞こえてきた。優しいメロディー。 眼下を見れば、ラクスが子どもたちと波打ち際を歩いていた。楽しそうな笑い声が耳朶を打つ。 浜辺に残された足跡。 彼らの歩いた後を、波が消し去っていく。 海鳥の鳴き声が空に響く。 風は地球の息吹。 そう言ったのは誰だろうか。 風は音を運ぶ。 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも。 感情の全ては音となり、人の間に鳴り響く。 ふわり、と肩に小さな重みがかかる。 〈トリィ?〉 トリィがメタリックグリーンの翼を反射させ、首を傾げた。どうしたの? と問いかけるように。 キラは微笑むと踵を返した。 部屋から廊下に出ると、外の潮を含んだ空気とは違うひんやりとした空気が漂っていた。 靴音を響かせながら廊下を歩きリビングへと向う。家の中には母やマルキオ導師がいるはずだがしんと静まり返っている。 何気なしに立ち止まって目をつむると、それまで聞こえなかった音が飛び込んできた。 家事をする音が聞こえる。 母はキッチンにいるのだろうか。 廊下とリビングを隔てる磨りガラスに影が映る。 ドアノブに手を掛けようとすると扉が開き、ピンクの丸い物体が飛び跳ねてきた。 〈ハロ・ハロ〉 相変わらず間の抜けた声をあげ飛び回っているそれは、幼なじみが作ったペットロボットのひとつ。 「……え?」 鍵をあける能力を持っているハロだが、扉を開けることはできないはずである。……たぶん。 ハロがドアノブを回せれるわけがないし 。でも、ハロだから開けちゃいそうな気もしないでもないけれど。 ドアノブを掴もうとした手はそのまま空を切り、キラが目を白黒させていると、視界にピンク色の髪が入り込む。 「おはようございます、キラ」 二、三度瞬くと、ラクスがドアノブに手をかけたまま微笑んでいた。どうやら、扉を開けたのは彼女らしい。 「あ、そうだ。おはよう、ラクス」 ハロに気を取られ忘れていたが、まだ朝の挨拶が済んでいなかったことを思い出し、キラは慌てて挨拶を返しながらラクスに即されるようにリビングへ入った。 彼女の後ろ姿を眺めながらふとキラは首を傾げた。 さきほど、自分が窓から外を眺めていたとき、彼女は子どもたちと浜辺にいた。時間もあれからさほど経っているわけでもない。なのに、なぜ彼女はここにいるのだろうか。 キラの考えを読んだかのように、ラクスはにこりと笑んだ。 「キラが窓辺に立っている姿が見えましたので、食事をお作りしようかと一足先に戻ってきましたの」 ラクスは愛用のフリルのついたエプロンを身につけ、右手に持っているお玉を小さく振る。 「あれ? 母さんは?」 食事の用意はたいがいカリダが行っている。だからキラはラクスの言葉に首を傾げた。 「カリダさんはお洗濯をなさっていますわ。ですから、わたくしがカリダさんの代わりに。キラのために頑張って食事を用意しますね」 そう言うとラクスは、ピンクちゃん、とハロを抱きキッチンへ向かった。 キラはダイニングチェアーを引き、腰掛ける。そこは自分の定位置となった、四角い窓から海が見える場所。 開け放たれた窓からは、波音と潮の匂いが運ばれてくる。部屋には今、キラとラクスしかいない。いつもは子どもたちの声で溢れているこの場所は静かで、すこし寂しい。 コーヒーの独特の香りが漂ってきた。 「バルトフェルドさんから頂いたコーヒーをいれましたので、飲みながらお待ちくださいな」 どうぞ、と湯気ののぼる温かいカップを置いていく。 「ありがとう」 「どういたしまして」 ラクスは笑むと再び、キッチンへ行った。 黒いコーヒーの中に、白色のミルクが円を描き沈殿していく。スプーンを入れかき混ぜると、色はまだらになり、薄茶色になる。まだ、ブラックコーヒーを飲むことはできない。だから、ミルクを入れる。 『うーん。ほんとうは僕が直々に煎れてあげるのが一番いいんだろうけれどね』 彼もそれを知ってか知らずか、笑いながら一言添えて、カフェオレ用にブレンドされた豆を置いていった。 砂糖は入れない。ミルクだけ。それでも、口に含むと苦さが広がる。 苦味は刻む。 自分がこの、『オトナの味』を受けいれられるのはいつだろうか。 コポコポとお湯が沸く音。トントンと包丁を使う音に混じり、ラクスの鼻歌が聞こえてきた。さすが歌姫と名高いラクス。鼻歌一つとってもほれぼれする上手さである。 音は奏でる。それは平時でしか味わうことのできない、幸せなひと時を。 「あらあらあらあら……」 何かを握りつぶす音がし、ラクスの困ったような声が聞こえてきた。 「どうしたの? ラクス」 何事かとキッチンに行ってみれば、ラクスがボールの上で卵を握りつぶしていた。彼女の白い指の間から、無残にも潰された黄身が流れ落ちる。 「卵を割るのは、とても難しいことですわ」 ラクスは、キラと自分の手を交互に見る。 「……へ?」 「実はわたくし、自分ひとりで料理をするのは、今回が始めてですの」 日がな一日、海を眺めていた自分と違い、彼女は母や子どもたちと一緒に料理を作ったりしていなかったか? 「いつもお鍋のお守りですので……」 ああ、とキラが頷くと、ラクスは恥ずかしそうに睫毛を伏せた。 食事の準備風景を思い出す。たしかに、彼女が包丁を持っているのよりも、お玉やフライ返し、菜ばしを持ってコンロの前にいる姿を見るほうが多い。 「大丈夫ですわ。ですから、キラはあちらで」 そうやんわりと言いながら、有無を言わせぬ目線でラクスはキラをキッチンから追い出した。 それからもキッチンからは、ときおり、物をぶつける音や、ラクスの「あらあら……」という声。 だんだんと不安になってくる。 一体どんな料理が出てくるのだろうか。 いや、それ以前に料理が出てくるか、だ。 大丈夫だとは思っているが 「キラ。お待たせしました」 ぼんやりと見つめていたコーヒーカップから顔を上げると、ラクスがダイニングテーブルに手際よくお皿をならべているところだった。オムレツにご飯に野菜スープ。なんともちぐはぐなメニューだ。 まるでレストランで出される料理のように、綺麗に盛りつけされたお皿からは温かな湯気があがり、美味しそうな匂いが漂ってきて、食欲をかきたてる。 ラクスが向かいの席に腰掛ける。少し不安そうに、キラの顔を見つめてきた。 彼女が初めて作った料理。 「いただきます」 じっとこちらを見つめる視線が気恥ずかしい。 オムレツに箸を入れ、食べやすい大きさに切り分け、口に運ぶ。 ぽろり、と手から箸が落ちた。 (辛い、というか、 舌を突き刺すような辛さに相まって、噛めば噛むほど吐き気をもよおすオムレツに入っていると思われる、切り刻まれたゴムのようなもの。 キラは目に涙を溜ながら、慌てて口元に手をやった。 ここで戻すわけにはいかない。 ラクスがキラの顔を覗き込む。 「……美味しくありませんでした?」 〈ナンデヤネン・ナンデヤネン〉 追いつめるように、ハロの声が響く。 ラクスの憂いを含んだ表情が恐ろしく見えるのは気のせいだろうか。 「そ、そんな、事ない、よ……ラクス。……あ、あま、あまりにも、美味しす、ぎてなみ、だが、出てきた、んだ 「まあ、そうでしたの。嬉しいですわキラ」 ふふふ、と満面の笑みを浮かべるラクスが眩しい。 必死になって咀嚼しながら、キラは食卓のお皿を見やる。 白い皿に載る、黄色い物体が憎らしい。 「まだ、たくさんありますので、遠慮なさらずお食べになってくださいね」 冷や汗が伝う。 つまり、まだ、このようなオムレツがたくさんあって、自分はそれを食べないといけないらしい……。 それでも、自分のために作ってくれたラクスの行為を無下にするわけにはいかない。 ( 震える手で、もう一口、オムレツを食べる。 そんな音とともに、口の中にザラザラした感触が広がった。 「あらあら……」 ラクスが口元に手をやり、どうしましょう、というふうにキラを見る。 「卵の殻は全部取り除いたと思っていましたのに 」 「だ、大丈夫だよ。カルシウム入りで、健康、にいいよ」 どちらかといえば、ダイエット効果が期待出来るかも知れない。 不調を訴えかけているお腹に手をやり、キラは箸を握りしめた。たしか、あそこのチェストの一番上の棚に腹痛薬が入っていたはず。 カチャ。 「あら、おはようキラ」 リビングの扉を開け、カリダが姿を見せた。 「おはよう、母さん」 心なしか青ざめ、箸を握りしめて硬直しているキラを訝しげながらも、食卓に並ぶ料理を目にすると破顔した。 「ラクスさんに作ってもらったの? キラ、ちゃんとお礼は言った?」 キラはゆっくりとした動作で頷く。その横で、カリダが感嘆の声を上げた。 「やっぱり、ラクスさんは上手ね」 「そんなことありませんわ」 「でも、なかなか綺麗に焼くのは難しいのよ」 「そうでしょうか」 「そうよ。火加減をちょっと誤っただけで、あっという間に焦げちゃうし」 カリダは、肩をすくめる。 「よかったら、カリダさんもいかがです?」 ラクスがカリダにオムレツをすすめる。キラはぎょっとしたようにラクスを見た。母はナチュラルだ。これを食べさせるわけにはいかない。なんとしてもそれだけは避けなければならない。 「ありがとう。でも、ごめんなさい。さっき朝食を食べたばかりだから、まだお腹がいっぱいなの」 その言葉に、キラは安堵の息を吐いた。その瞬間、悪寒を感じたのは気のせいだろう。 「とても美味しそうなのに」 そうだね、とキラは心の中で頷く。 (あの見た目で、あの匂いを醸し出しつつ、でも、この味だから) 「そうですか……、それでは仕方ありません」 「よかったら今度、作っていただけるかしら」 キラの心配をよそに、カリダは恐ろしいことをお願いしている。 「はい。喜んで」 キラにはそれが、死の宣告のように聞こえた。 (母さん、ラクスの料理は食べられないよ……) たかがオムレツ、されどオムレツ。あなどることなかれ。 book / 2005.08.21
web / 2024.05.12 |