幽霊少女の憂鬱 4





幽霊の日常は非日常です




 陽が出ている時間は少しずつ短くなっていく。風鈴の音に混じり鳴いていたセミの声はどこかへいき、代わりに秋の虫たちの合唱が始まった。
 移ろいを現すかのように、西日に照らされた影が長く伸びていく。
 線香のにおいがこもる仏間でマユは水中をたゆたうクラゲのように漂っていた。
 生前プールの中から見上げたことがある。光が差し込み言い表すことができない不思議な色が広がっていた。けれども今マユの前には日に焼けた木目が見える天井。あのとき聞こえた音もない。
 あるのは  

「……ちょっと、そのお経は何よ。へたっぴ!!」

 仏壇の前で正座をして慣れない言い回しに四苦八苦しながら読むアスランにマユは指を突きつけた。

「すまない。シンの代わりにと思ったんだが……。やはり宗派が違うと難しいな。家のだったら、もう少し上手く読めるんだが」

 アスランは肩を落とす。

「そんなんじゃ眠れる人も飛び起きちゃうわよ。だいたい、お兄ちゃんはどうしたの?」

「あれ、言ってなかったか? シンは昨日から宿泊研修に出かけているよ」

  へ?」

「飛行機に乗るからだいぶ渋ってはいたんだが、立ち止まっていてどうする。前へ進め、と鼻息荒く出て行ったよ  マユちゃん?」

 マユは眉根を寄せる。

 シンがいないとなるとこの家にいるのはマユとアスランだけ。

「つまり、二人っきり!?」

 なんてことだ。貞操の危機だ。無駄に顔だけいいこの変人に手込めにされてしまう。

「……マユちゃん、君、変な方向に語彙を豊かにしてない?」

 両頬に手を当て嘆くマユの隣で、アスランは疲れたようにおはぎを供えた仏前に鐘を響かせた。





悩める幽霊もお年頃




 幽霊となって睡眠の必要がなくなった。空腹を覚えることもなく、湯気をあげる食事の匂いもわからない。寒暖を感じることもなくなった。そよぐ草花を見ることはできても、その撫でていく風を感じることができない。
 物を直接触れることもできなくなった。そこにあると認識していても手や足はすり抜けて行ってしまうのである。
 それは意識しないようにしている「幽霊」であるということを知らしめる。
 普段からマユは自分のことを幽霊だと口にするけれど、心のどこかでは否定していた。
 まだどこかに自分の身体はあるのではないか。どこかの病院で寝ているのではないかと。
 リビングの片隅で小さくなるマユの鼻に甘ったるい匂いがまとわりつく。
 匂いを感じないはずの自分が、かつて体験したものを再現できるほどに充満しているのはどうかと思う。
 キッチンに首をむければ、調子外れの鼻歌をうたいながら、友達から貰ったらしいフリフリのピンクのエプロンを着けた男が一人チョコレートと格闘していた。
「何やってるの」

 キッチンまで移動してマユはアスランを見下ろす。

「もうすぐバレンタインだからね。今年はケーキにしようと思って、試作をしているんだ」

 無言のままのマユに何を勘違いしているのかアスランは楽しそうに、

「大丈夫だよ。ちゃんとマユちゃんにもお供えするから」

 供えられた物ならば食べることができるからか、アスランは甲斐甲斐しくおやつまで供えていることが多い。

 生前、好きだったチョコレート。

「カガリさん、喜んでくれるかな。シンもチョコレートが好きだから楽しみにしてくれるよね」

 しんみりしそうになった心が止まる。
 バレンタインとは女が男にチョコレートを贈る日ではなかったか。いや、この男にそんなことは関係ないのだろう。
 こんな男に想われているカガリさんに同情する。ああ、同情するよ。
 目の前には凝ったデコレーションが施されたチョコレートケーキ。見目麗しいチョコレート細工も多い。
 アスランはアナウンサーではなく、チョコレート職人だったのか?
 最近、物覚えが悪いらしい。

「マユちゃんも味見をする?」

 そう言って差し出されたチョコレートについ手を伸ばそうとして、マユの腕はすり抜けてしまった。

「…………」

「あ」

 しまったという顔をしている。

(ちゃぶ台返しをしていいかな)

 ポルターガイスト現象なら可能だ。そう考えていると

「帰りました」

 玄関から兄の声。

「アスラン、すっごい匂いがこもってるよ!」

 バタバタとこちらへ来る気配がする。

「忘れずにお供えしてよね!!」

 食べ物の恨みは大きいのだ。









book / 2011.12.30
web / 2024.05.31